2005|04|21
いじめられっ子の気持ちなど分かるはずがないと思っていたが(とはいえいじめっ子の気持ちが分かるというわけでもない)今なんとなく分かる気がしている。
おそらくこうだ。

いじめられっ子は自分の何が悪くてそういう状況に置かれているのかはっきりとは分かっていないのではないか?

自分の至らなかった点に心当たりがあったとしても、はたしてそれがホントの原因なのかはっきりとしないのかもしれない。
時に「まさか、あんなことで?」などと考えをめぐらしたりしてるかもしれない。
結局原因をはっきり掴めない以上対策の打ちようがない。
というよりいじめられっ子がそこを抜け出す策なんてないのかもしれない。
それはこれから明らかにしていく。
至極当たり前のことを書くかもしれないが、僕にとっては青天の霹靂ネタなので 読まれる方はこれも何かの因果と是非最後までお付き合い願いたい。

気付けば1996年11月から始まったこのnotes史上最大の長さのnotesである。
覚悟あれ。

さて、「なぜいじめられてるんだろう?なぜ?なぜ?」と考えた自分は誰かにその真相を聞くのが近道、いや唯一の突破口だと考える。
ここまではきっと正解の思考だと思う。
ケースバイケースだが実際会って話してみたら(会って誰かと話せる状況があったらの場合)
「え!そんなわけないじゃん。なんでそういうことになってんの?」(なぜか女子を思い浮かべている)
とかいったセリフが浮かぶこともあるかもしれない。
つまり、自分が至らなかった部分が伝言ゲームよろしくえらくひん曲がって形が変わって広がっていたりとか、実は自分が至らないと思ってた点はまったく勘違いもいいところで、原因は別のところにあったりとか。
大した理由もなく、ただなんとなくキライなんじゃ!が理由だったりしたら それは残念なことにどうしようもないわけではあるが、こんな理由も当然ある。

しかし残念なことに、一度いじめられる対象になるとこちらの見解を聞いてもらう機会はなかなかないということだ。
皆無かもしれない。
挙げ句に誰にも相談できず悲しい最悪のシナリオを自分で描いてしまうケースもあるだろう。
僕は幸いにも「悲しい最悪のシナリオ」を一度も思い浮かべたことがないので、 どんな最悪な状況でもそういう方向へは行かないと思うが、そう思う人の気持ちも わからんでもない。
今僕がそういう状況だというわけではないが、本当の孤独って想像を絶する真っ黒なんだと思う。
そこには一点の光の兆しもない。
そこにポツンと置かれたらどういう気持ちだろう、というのが、今は分かると言わないまでも想像はできる。

一度そういう対象になったら、どう動こうが、どうジタバタしようが、ただウザイだのキモイだのといった形容詞くらいでしか表現されないのだろうと思う。
仮に会うことが無理だとしても、今のご時世であればメールとかで気持ちを伝えようかと考えるかもしれない。
ただ当然メール自体ウザイと思われることも事前に容易に想定できるだろう。

それでも意を決して書くと決めたとしよう。

できるだけ簡潔に慎重に書くことだろう。
「二度目はない」、というのは当人がよく分かっているだろうから。
それでも想像以上に考える。
正確に伝えることが重要だから当然である。
簡潔だとしても「気持ちがこもってない、見えない」とか解釈される可能性もある(決して卑屈になってる例を示しているわけではない)。
逆に、長く思いのたけを綴ったらどうだろう?(長い文章だから気持ちが入ってる入ってないってことにはならないがこれがもしかしたら最後のチャンスと思ったら自ずと文章は長くなってしまうかもしれない)
これは単にウザイ度を上げるだけにすぎないかもしれない。
想像以上に考えると書いたが、様々なケースを自分なりにシミュレーションするわけだが、結局のところ、情報を受け取る当人の気持ちを正確に思い描くことはどだい無理な話ではないかと思う。

つまり、一旦そういう対象としてのレッテルを貼られたらきっとなすすべは一切ないのではないか。
どう動いても逆効果になるのではないか。
きっとであるが、もう存在自体がウザイのである。
だから何かアクションを起こせば、状況はさらにまずくなるだけなのかもしれない。
しかもこれは失恋のように時間が解決するものでもない。

ここまではプロローグ。
さて、ここからは「僕」が主語になる。

無自覚。無意識。

本当だ。
思い返してみると僕はそうやって人を傷つけてきた。
これだけきちんと思い返したみた経験はないかもしれない。
近々だけでも3つの事柄で人を直接間接的に傷つけてきた。
僕はかねがね思ってたことがある。

「よく歌の歌詞で「傷つける、傷つけない」とか出てくるが、現実傷つく傷つかないって頻繁にないだろ、身近じゃないだろ、そういう言葉の選び方はもしかしたらカッコいい(?)というか形になるのかもしれないが、なんかウソっぽいよな」

と。
ところがそうじゃなかった。
一番近くのサンプル。
そう僕自身が人ごとのように思ってた「傷つける」行為をしてきていたのだった。
そう感づいたのはあまりにショッキングだった。
そしてこれまで傷つけてしまった人に本当に申し訳なく思った。
今僕は後悔先に立たず、という言葉にどっぷり浸かっている。

高1。忘れもしない。
何かの飲み会で(いやたぶん酒はない席だったと思うが)記念写真みたいなものを撮っていて、全員じゃないけど結構入る感じでカメラが向けられた。
僕はフチっこの方にいたのだが、近くにいたUちゃん(女)にこんな失礼な発言をした。

「Uちゃん"も"入っていいよ」

もちろんなんの悪気も意図もなくだ。
むしろ「入りなよー」という気持ちでそういう発言をしたのだ。
まわりは冗談まじりで「ひでぇーひでぇー」とはやし立てたが、はっと我に返って 「今の自分の発言はないだろ」と思った記憶が今でも鮮明に残っている。
ついでに言っておくとそのUちゃんは僕が別の子と付き合ってた時にそれを知りつつ告白してくれた子だった。
そんな背景もあるからUちゃんの傷つき度は相当なものだったかもしれない。
ゴメンよ、Uちゃん。

そして2005年。
今回いろんなところで人を傷つけた。
これも当然であるが傷つける意図なくである。

無自覚。無意識。

意図がないからと許されるものではないし、今自分が置かれている状況も全部ではないが甘んじて受けいれなければならないことだろうと思う。

あることがきっかけで傷つけてしまったある人と現在ほぼ絶縁状態にある。
何も求めない前提で謝りのメールも投げたが、それがどう受け取られたかはまったく分からない。
きっと前述したように、メールの内容や書き方など関係ないのではないかと思う。
ただウザイということかもしれない。
気持ちが切れたらそう思われても何ら不思議がないことくらいはさすがに僕にも分かる。
(読まれもしない可能性のあるその)メールは自分なりに慎重に慎重を重ねたつもりだった。
書き終わったメールを眺めながら、送るか送らないか数日悩んだりもした。
送ること自体がウザイという確率もあることは鈍感な僕でも何となく分かっていたからである。

人生はシンプルだと思っていたが想像以上に複雑だと思い知らされたりする。
自分が複雑にしているのか、と思い及ぶこともあるが正解はいつだって分からずじまいである。

もうひとつ。
これは上記の件とも大いに関わる(大いに関わっているのか、若干関わっているのか、その程度の差はこれまた自分の中では分からずじまいである)。

実は上記の件で別の人にメールで相談したことがある。
最後のトリガーがひかれる寸前、まだ絶縁前の話である。
「なんか様子おかしくないか?」
「自分がなぜそういう状況におかれているかわからない」
といった内容でメールした。
ま、つまりはSOSである。
当時その人とは割に頻繁にメール(昼はパソコンで会社へ、夜は携帯で) をやっていたが、その頃仕事が非常に忙しかったようでそのメールに対する 返信はなかった。
数日たっても返信がないので僕はそれを「なぜだろう?」と考えた。
忙しかったからなのか、「なんでこっちに相談するかな?本人に聞けば?」と思ってウザがってんだろうか、話が込み入っててどう返していいか分からず困っているんだろうか、それ以外だろうか、その真意はやはり分からずじまいであった。

実はMLとかの不特定多数宛メールと違って、TO:でその人へ直接送ったメールについては、仕事を除けば送って返って来なかった例がそれまでなかったのである。
逆もしかりで、自分宛に来たものは返さなかった例がなかったのである。
もちろん僕が基準でもないし、たまたま今までそうだっただけなのかもしれないが、 経験上ないことは想定の範囲外と考えるのも無理はない気がする(自分を正当化する意図はない)
また、これもあくまで僕の場合なのだが、僕が相談され、あり得ないくらい忙しかったとしても、例えば「忙しいからちょっとゴメン」のように返信していたように思う。
それすらなかったことから僕が勝手に出した"横着な"結論は、上記の件から飛び火して「その人自身が僕を避けてるんではないか?」というものであり、やはりそれも僕の中では「なぜ?」だったのでその「なぜ?」をメールすることになる。
もちろん感情的になって即メールしたわけでなく、その後の自分を取り巻く環境の微妙な変化(もちろん思い過ごしという可能性もあるが)やらを見つつ、いろんな可能性を探った上で「なぜ」のメールをしたつもりである。
しかしこれは何度も言うが単純に「自分だったらそうはならないだろうに」という自分主体の仮説に基づいた一方的な考え方の上に成り立っているわけで、 その人がどういう状況で、どう考えているのかは「僕だったら」で計ることは 当然できないし、しちゃいけない。
その観点においても、相手の気持ちを考えていない、相手の立場になってないと言われても仕方ないことかもしれない。
相手の気持ちを知りたいから、分からないから、「なぜ」メールを送ったわけだが、相手の気持ちを知ろうとして余計な近道をしようとしたのだろうか。
また、近道は短絡的な手段だったのだろうか、そのあたりははっきりいって正直分からない。

「なぜ?」メール後、しばらくして返ってきたメールは
「忙しい中でも自分なりに返信してきたつもりだったが、なぜそう思ったのか 分からないし、非常に驚いた」というものだった。
これを受けて想定の範囲外だったものが、想定の範囲内へ移ることになり、 謝りのメールを送った。
想定の範囲外だったものが、僕の基準ひとつ違えば範囲内だったはず。つまり、自分の物差しで計ってアクションをとってしまっていたことに気付いたからである。
「なんでオレが謝ることになるのか?」という思いはなかったが、心のどこかで「その人が僕だったらこう対応してたんじゃないか」という思いが残っていたのは否めない。
メールにそんなことは書いていないが、こう思うこと自体が決定的に間違っているのだろうか。
そして自分の願いに反してそれ以降関係は一気にグラグラおかしくなった。

こうなるともう何が何だかまったく分からない。

1つ分かってることは「意図せずに人を傷つける方法」を自然と実践してしまっているということぐらいである。ぐらい、と表現して軽々しくと解釈されてほしくないが、圧倒的に壊滅的に人間失格的なことであることは理解している。
そして、「あれれれ、なんでそうなっちゃってんの??違う違うってば。そういうことじゃないって」と動けば動くほど状況は悪くなるし、元々の「なぜ?」さえ突き止めようがなくなる、ということを知る。

そしてこの一連の出来事を経て、今僕はなんともいえない後悔と無念の気持ちの中にいる。
仕事的には「(防ぎようがあったなかったかは問題でなく)やってしまったことはしょうがない。大事なのはその後の対応だ」というのが基本にあるのだが(お客さん対応とかね)、その後の対応さえ何の意味もなさないということが現実にはあって、 今回は、やってしまったことがすべてだったように思う。
その大きさ深さがその後の対応さえ許されないほどのものだったということだろう。

今またふっと思い出されたが、あれは1997年か1998年あたりのことだったろうか。
ネットであるチャットを介し仲良くなった一種のプライベートなコミュニティ(いわゆるネット上のバーチャル仲良しグループ)があった。
その中の一人の女の子とはとても仲良くなって朝まで6時間くらい長電話したり(携帯はまだなかった。つーか今そんな長電話皆無。)、別れた彼につらい仕打ちを受けてたけどやっぱり未練がある感じで相談に乗ったり。
会ったことはなかったが頻繁にやりとりをしていた。
そうこうするうちに流れで二人でディズニーランドにも行ったりした。
今もってあれが最近のディズニーランドです。
ネットで知り合って初めてリアルで会った最初だと思う。
その後もしばらく仲良くやっていた。
しかしある日突然まったく予期していなかったメールを受け取ることになる。

「もう連絡しないで。メールもしないで」

というあっさりしたものだった。
寝込みを襲われたようにキョトンとなるも、すぐにドーンと悲しみがやってきた。
彼女との関係が一方的に切られただけでおそろしくショックだったが、そのコミュニティにいる他の人ともこれで終わりだと知らされたようなものだったからなおさらである。
その頃の生活はそのチャットにかなり依存していたと思う。
そして何がつらいって何がきっかけで昨日と今日がこんなに違うのか。
僕にどんな落ち度があったのか?
それすら何も知らされずジ・エンドだったことである。
それまでの毎日に近い電話とかあれは一体なんだったんだろう?

そうだな。
思い返せば、理由が分からずこういう結果で終わってるケースって結構あるのかも。
みなさんは果たしてあるのでしょうか。
ただ、理由は分からなくともきっと存在するはずで、いくつになってもそれが 分からない、分からないから学習しない(いやこれは言い訳か)というのが問題なのだろう。

人と人との関係に絶対はないっていう当たり前のことと、
すごく脆いんだな、というはがゆさを今感じている(そんなことで崩れる程度の関係だったの?という意味ではない、念のため)
そして、冒頭に書いたようにいじめられっ子の気持ちが分かった(分かった風にせよ)ことと、いじめられっ子に救いの道はきっとないだろうこと。

どこからどこまで、誰から誰まで、をかは正確にはわからないものの、人を傷つけてきたことはおそらく事実で、万一誤解や行き違いからそういう結果を生んでしまったにせよ、何かが欠けているからそういう事態を招いているのは間違いないだろう。
幸いにもその何かの全部でなくとも分かってる部分はある。
人間、そうたやすく変われるとは思わないが、今回は真剣に変わらなければいけないと思っている。

大変おこがましいお願いをしてみるのだが、
冗談のつもりで僕が言ったこと、した態度で傷ついた人は是非その時にガツンと教えてちょうだいな。「それ傷つく!」と。
そんなこと起きる前に自分で考えろや、ではあるが、 なにせまだまだ発展途上、未熟者ゆえ、協力いただけると幸いである。
なにそんな調子いいこと言ってんの?という声が聞こえる気もするが、 当然最大限に注意を払うつもりでいる。
もちろん注意を払うから傷ついても許してね。僕がまだまだだから、とか 開き直るつもりはない。当然か。
「人は欠点だらけの動物。ダメなとこでなく、いいところを見ていこう」
時に実践が難しいが大いに同意である。
ただ、ダメなところにも限度がある。
人を傷つけちゃいけない。

今日のこの内容をココに書くのにも抵抗がなかったわけではないし、 取りようによっては言い訳だか言い分だかしらんが際限なく書き連ねダラダラのたまいやがって、「で?」と思う人もいるかもしれないが、 とにかくけじめと意思表明を込め記しておくことにした。
自己満足と言われても否定しないが、記しておくことにした。

「心すれ違う悲しい生き様にため息漏らしていた
だけどこの目に映るこの街で僕はずっと生きて行かなければ」

僕が僕であるために/尾崎 豊

Just like starting over.


2005|04|10
ネタはたくさんあるのだが、ミクシとの両輪。
そしてリアル。三つ巴の戦いになかなか筆進まずココの有様ですが。
まずは9日ほど遡ってみよう。
さて、エイプリルフールである。

年々縮小傾向にある「大ボラ吹いても罰せられないぜデー」企画インヒアですが、 今回は「また、手の込んだ....」と言われたりして、ある意味これもみなさん だまされているわけですが以下よろしく。

まずはこんなトップでした。



3年ぶりに帰ってきた幻のラジオ番組というふれこみで1日限定公開した21分の フリーワンマントーク!
何人の人が最後まで聞いたか分かりませんが、総ヒット数は58でした。

ネタばらし
実はこれ録音含め全部1人でこの日のためにやったと思いこまれがちですが、 違います。さすがにこんな風には無理です。
某レッスン先の企画がありまして、企画、構成は自分でやるんですが ちゃんとスタジオ入って一発録り(生で回しっぱなし)ですが、録ったわけです。
なのでBGM流したり、曲をかけたりする担当の人がミキサー側にいるのです。
生録音が3/29でして、「さてと4/1何すっかなー」とちょっと思ってたところ 「お?これあんじゃん。使えねーかな?」と思って公開したわけ。
棚ぼたっちゅーやつですか。
副産物つーかリサイクルです、ええ。

ここからは聞いた人にかな
プロデューサー仲さんは当然僕がこしらえた架空の人物ですが、時にその録音技師の方を仲さんと呼んで番組中絡んでる箇所もあります。
ちなみにAD神ちゃん(コーヒー持ってきてくれる)はそこにいません(笑)
というか神ちゃん一度しか登場しないんで覚えてる人皆無と思われます。

番組のコンセプト
コミュニケーション&アクシデンツ
なのでコーヒーこぼしたり(もちろんスタジオでコーヒーなどこぼせない)、携帯鳴ったり、赤羽メグちゃんが応援に駆けつけてくれるあたりはすべて自作自演。
想定外のアクシデントも結構起こってるんで(なんせ生だし)どこからどこまでが狙ったものかそうでないものか線引きは難しいかも(笑)

タイトルコールとかまったくリハなし、一発だったからねえ、全部その場でアドリブですけどそれなりに形になってるような。どうすか??>リスナーのみなさん

それと僕の思い出フル稼働してもイメージはAM。それも「オールナイトニッポン」なんだよね。

あとミクシの方でこれは盲点というか「やられた!」と思ったんだけど、 ある知り合いが名前を似ていると言われている?芸能人の名前に変えて日記とか書いてきたんだよ。
これは素晴らしいアイデアだ。拝借!と速攻ある人の名前を語ったんだが、その人そもそもミクシにいるし、一般人だし、無名ではないのだけど一般人だし、迷惑かかったらやばいと「優香」に至るわけです。



最初に「やられた!これだ!今日はこの線で行こう!」と考えてから「優香」で1日過ごすことを決意するまで結構一瞬でした。



いや、一応いっとくと本人(つまりオレ)は似てると思ってないんよ。
しかも似てる!っていう人が少なからずいるものの、似てない!って人も少なからずいるんで八方ふさがりです。似るなり焼くなりどうぞよろしくつー感じです。

その後ミクシの知り合いに芸能人が増えていきました。
4/2には芸能人たちはどこかへ去ってしまいましたけど。