1999|05|31
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▲いい加減わかったって?ま、いいじゃん。

第五回

現在クロアチア・ザグレブに在籍のカズこと三浦知良のマンションのすぐ裏手にある経堂の酒問屋でボクはパワーリフトにのってビールなどをパレットごと運んでいた。
彼の方はというとウェイターから雀荘、ゲーム喫茶、日雇いの印刷工など職を転々としていたが、あくまでどこにも属さないいわゆるフリーの立場をお互い真っ当していた。
なにかになにげに守られる、当たり前のように安定が転がり込んでくるのが納得できなかったのだ。逃げ道を用意した時点で負けだと思っていた。
そんなある日、何年間もだましだましやってきたボクの一種の心の病が表面化した。
体がSOSを発信したのだった。電車も乗れなくなり、バイク以外での外出は 非常に困難になってはいたが体の外へ症状が出てきたのは生まれて初めてのことだった。
大きな病気もなく、誰からも健康だと思われていただけに友達連中は一様に驚きを声にしてボクに告げた。電車に乗れないのは、ただ単に電車が嫌いなだけだろと読まれていたのである。ボクにしてみればどちらでもよかった。
たかだかボク自身の問題なのだ。それもたかだか心の問題なのだ。
そんな中彼の対応は驚くべきほどはやかった。
自分でさえこれからどうしようかと考える前に彼は行動をとった。
頼みもしないのにいたるところの病院に電話したのだった。
「こうこうこういう症状の友達がいるがそちらでいいですか?」と。
慰めも同情もなにも口にしなかった。
ただ彼はいつもとなんら変わらない口調で 病院の名前と場所だけを電話でボクに伝えただけだった。
当たり前と思うかもしれない。
だって友達でしょ?
親友も恋人も損得じゃないでしょ?
分かるよ、頭ではね。
でも、当たり前じゃないよ。
その時の記憶は鮮明に残っている。
彼が今後どうなろうと、彼が今後ボクになにをしようと
お前は親友だ。親友とは永遠だ。永遠なはずだ。
いや肉体に限りがあるなら一生とでもいっておこう。
返せない借りを作っちまったな。
いつか返せる時まで心おきなく借りておくよ。
返せなくても怒るなよ。

(つづく)


映画「鬼畜大宴会」をビデオで見た。
ここんとこちょくちょくビデオ見てるだけど更新してないね。
この映画、暴力やグロテスクな描写とか言われてるけど、 ま、たしかにそうなんだけどその前になんだかなーである。
リーダー相沢とくさい飯を食った仲間がシャバに出て、彼らのグループに 合流する。寡黙な彼の存在は後半の静かな暴力につながるのは誰もが 想像つくことだろう。納得できないのはラストシーン。彼の自刃だ。
一体彼は何をしたくてそこにいたのか。
途中までは「お前らバッカじゃねーの」レベルかと思ってたが、いちいち場面説明してもあれだが、そうじゃないんかい、と思わせたり。
で、彼の存在の意味するところはなんじゃろか?
結局自刃を遂げることですべてうやむやにしてしまった感が。
ほんとになんだかなーな映画であった。
なんとなくで、つくらんでくれ。
まったくお勧めしたくない映画であった。

カルディが年に1回とかいってスペシャル大セールスを敢行していた。
人だかりがこわかったが、コーヒー半額なーんていうもんだから400g買った。
だって通常200g430円が215円だよ。まったくいかれてるね。
ついでにホールトマト2缶157円とカマンベール500いくらかが298円とか。
ほんとに久々にうちのライカくんで商店街撮ってたんだけど、 全部撮り終わって巻き上げしてたらものの1秒で巻き上がった。
ダメだね、何年かぶりだもん。ちゃんと使ってやらなフィルムもまともに装填できんくなるんかとしこたま泣いた。朝起きたら目が腫れてた。
1日1ウソ。


1999|05|29
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▲いい加減わかったって?ま、いいじゃん。

第四回

すべてではないにしろお互い認めあっていたのだろう。
にも関わらずギタリスト兼作詞作曲の彼と、ボーカリスト兼作詞作曲のボクが 一緒にバンドを組むことはなかった。
つまるところ彼はボクのボーカリストとしての力量を見抜いていたのだ。
ボクが行き詰まりを感じ、ボーカルスクールに通いだしたのはちょうど 惚れた相手にこっちを振り向いてもらいたいがために行った行動と一寸たりとも たがわないものだった。
たらればは無意味ではあるが、もしボクらが同じバンドで先を見ていたら 今とはまったく違う未来がここにあっただろう。
ボクも彼も同じところをめざしていた。
決して交わらない線がここからそこへまっすぐ伸びていた。
悲しみはとてもとても近くにあるものだ。

(つづく)

最近 Hip Hopダンス習ってます。
正確にいうとジム(フィットネスクラブ)のプログラムで毎週木曜にやってる。
めちゃ楽しい。
このプログラムは最近この時間(仕事終わってからの)にできて行けるように なったんだけど、その前までは自転車こいだり、自転車こいだり、自転車こいだり、とかなり飽きてきたっつーかちと義務感伴ってムチ打つのが大変だったですが、 ダンスはホントに楽しい。汗かきまくるしね。
第一、ボーカリストにないと致命的なリズム感がボクには少々不足がちなため、 そのレッスンも兼ねられるし。
で、最近ボーカルスクールで指摘されたんだけどボクってウラのリズムを 体で感じてないんだよね。これってまじ致命的すよ。
リズムには必ず表とウラがあるんだけど、その表しか感じてないわけ。
これは日本人が桑なんかをドスン、ドスン、って降り下ろす農耕民族である証し。
だからある意味仕方ないことらしい、なので日本人がウラのリズムを感じるのは先天的にはまず不可能に近いらしい。
先生にそのへんも教えてもらったけど、西洋だと例えば馬。
馬に乗るとはねっかえりがあるでしょ。ドン(パ)、ドン(パ)って。
そういう血の問題もあるんだけど、これは努力で身につくそうなんで頑張る決意。

今日は原宿のHARAJUKU GALLERYっつーとこで写真展をみてきた。
写真展ていっても何か参加型のやつで(って説明しろよちゃんと)、 行くとドイツ人の白髪のおやじが日本人のばーさんを撮っていた。
ばーさんは椅子になっていた(意味不明)。
で、ドイツ人は名刺交換とかしないらしい(豆知識その1)。
で、ボクはといえば壁から顔だして写真撮ったり、鼻血メイク(?)されたりして撮られたりした。
もちろんLomoっすよ。どんなん撮れてるかちょい楽しみ。


1999|05|28
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▲いい加減わかったって?ま、いいじゃん。

第三回

ドラクエIIが出た当初、彼はボクの家に1ケ月居候し、交互に寝るという形でテレビとファミコンの電源を1ケ月切らずにドラクエIIをやりまくったこともあった。
その後、ボクはバイクの免許取得の際におそろしく視力が落ちていたことの衝撃に閉口し、すぐさまゲーム絶ちをした。テレビゲームの類いは現在までまったくボクの中では封印されている。すでにゲームに興味がまったくないので封印を解く必要はないのだけれども。

東京へ出たのは第一に音楽のためだったが、早く家を出て自由を獲得したかったのが大きな要因だった。
しばらくして突然彼は東京へやってきた。
彼は大学へは行かなかった。進学高の高校の進学率からするとボクのまわりにはその率から見事にもれていたものが多かった。彼は音楽のために東京へ来た。
のちに彼は「オレが新幹線に乗って東京へ出発する場面はまさにニューシネマパラダイスのあの主人公の旅立ちのシーンとだぶるんだ」と涙したことを話した。
彼の高円寺のアパートは実にぼろかった。ま、ボクの4畳半も同じようなもんだが、とにかく汚かった。でもよく遊びにいった。音楽の話は楽しかった。
ブライアン・ジョーンズ在籍時のストーンズのポスターを原宿のギミーシェルターで買ってきて貼っていたのでくやしくてボクも真似をしてみた。
その頃のボクらは女の子の話なんてほとんどしなかったように思う。
音楽、そしてそれによってもたらされるであろう未来を頭に思い浮かべることでココロは満たされ、他の何かがそこに入ってくる必要はまるでなかったのだ。
時にはお互いの曲にケチをつけたり、時にはお互いの曲をほめたたえたり。
ボクは彼にはボクにはない才能があるのをひしひしと感じていた。
ボクが現在進行形的に聴きつづけるいろんな音楽を消化吸収し、自分の音楽の形を変えていくのに比べ、彼の音楽は最初っからさほど変わらなかった。
彼には確信があったが、ボクにとっての確信は彼の前では過信に近かったのかもしれない。
当時ボクらは日本のバンドではユニコーンがスキだった。
東京へ来てすぐに仲良くなったのはやはり音楽という強烈なキーワードに拠るものだったのだろう。

彼は勤めていたバイト先のレンタルビデオ屋がつぶれたお土産にどーでもいい「プらトーン」なるビデオをボクにプレゼントしてくれた。かなりうれしくなかった。

(つづく)



▲ STEREOTYPE








▲ フロア









▲ スピグラ









▲ STEREOTYPE









▲ 1:00am ちはるさん現る
某5/24(月)Design Plexの2周年イベントに行った。
VJっつーものを初めてみた。最初のほうのSTEREO TYPE PRODUCTSてのは結構知られてるデザインチームらしいが、さすがにかっちょよかった。タイポグラフィの嵐、嵐、嵐。で、スピグラことSpeedGrapher、こっちはポップな感じ。おもろかった。 全部で5つのVJが流れたんだけどボクは平日の朝5時までつき合えないほどビジネスマン然としている理由により途中で去った。
VJていってもいろいろあるわけか、と思ったり。タイポグラフィ的なのばっかを想像してたんで「へえ」と思いました。1人で行ったんだけど中で何人か知った顔にでくわし、よかったよかった。つーかみんなあんまり踊ってなかったね、VJ見てたもん(笑)
でボクはといえば左にあるようにLomo(フラッシュなし)で撮りまくり。結構撮れるでしょ?途中で遭遇したあさみっちに「あなた様ならこの程度(VJのことね)のことできちゃうわよ(口調変更済み)」と言われ、内心「いやいや絶対無理だね」、と一瞬思っただけどその気になりゃアイディアはいっくらでも出そうだし(定型フォーマットなんてないしね)、フラッシュ使えるだけでもある程度できる気がした(今できんが)。つーかだんだん調子こいて、これで食ってこうと1本に絞れば下手すると日本で5本の指くらいには入れるんじゃ?とか真剣に思ったり。つーかその前に音楽があるんでそれはないけど。
でもやってみたくはなったね。ただロックとVJはかみあわねーって気はするね。 そこを打破できれば近い将来おもろいかなとは思うんだけど。
ビートルズの(つーかジョンの)Tomorrow never knowsにちょいと加工加えたりして。

ログを見てて、なんでco.kr(韓国)からココへ?と思っていったら
こんなページあったのね。って誰かハングル表示できて理解できる人、うちへのリンクのコメント何書いてあるか速達で教えてくれ。
そういえば仕事で韓国のキムさん(日本語べらべら)とメシ食ったんだけどバイタリティはんぱじゃない。ビバ・キムチ!ごはんは中央、味噌汁左!仏様がなんぼのもんじゃい。


1999|05|27
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▲いい加減わかったって?ま、いいじゃん。

第二回

高校2年。
いろいろな事件があり、ボクは教頭に虫けら扱いされていた。
校長室に呼ばれたボクに教頭はニヤニヤしながらこう言った。
「進路はどうするつもりだ?」
ボクは大学などいく気はさらさらなかったが、その発言には「どうせ今から勉強してもどこの大学にもはいれんわな、だろ?」が大いに含まれているため、口からはなぜか
「M大学へ行く」
という言葉が流れた。
その時点でそんなギャンブル的な言葉がなぜ出たかは分からない。売られたケンカを買ってしまったか、誘導尋問にまんまと引っ掛かったか。M大学は当時ラグビー部だったボクが好きなラグビー部があった名門大学だった。
「はっはっは、いけると思っとんの?」
教頭の言葉はまるで面白くもなかったが真っ当なセリフではあった。
ボクはこの2年で定着した学年最下位、ブービーの繰り返しを返上しようと最後の1年に賭けた。結果、M大学はすべて落ち、カッコ悪いながらも1つだけ受けていたK大学に受かってしまった。仲間内からは「なんでお前が現役でいけるんだてー?」「奇跡だな」など祝福と非難の入り交じった言葉を浴びたものの、教頭にタンカを切った手前その大学をけって進学しないのがベストだと思っていた。
そういう美意識の最中に腰を下ろしていたのだ。
だが、新聞に載った合格者のリストを見て単純にかつ不覚にも笑みがこぼれまくってしまった。
カッコ悪いことにボクは結局K大学へ行ってしまった。
大人たちがひしめきあう社会とやらに出征するまでの執行猶予のために通うキャンパスライフを覗いてみて笑ってやりたかったのである。
ところが通ううちにそこは文学部ではなく、教員養成学部であることに気付いてしまった。今さら平家物語を深く理解しようなどという気は毛頭なく、さらにボクの足を遠退かせるのに十分な理由として最初の何年かは授業の選択の自由は与えられず、誰もが単位を取得しないと前へ進めない授業があるといういわゆる袋小路が何の因果が用意されていたのである。まったくもって不可解であった。
ボクは国語の教師になるのが目的ではなかった、ましてや一気飲みを習得するためでもなかった。
妙な窮屈感を味わっていた実家を離れ、自分の鍵を手にしたときのなんともいえぬ恍惚感にたった4畳半の、寝るスペースがやっとの部屋がやけに大きくみえた。
ザ・東京ライフスタートである。
そして彼はまだ名古屋にいた。

(つづく)



1999|05|23
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▲いい加減わかったって?ま、いいじゃん。

てつのぶが間に入った。
なかば仲人さんだ。
ボクと彼は向かいに座り、第一声をどう切り出すかの執行猶予がてら テーブルの前のコーヒーを等倍速ですすりはじめた。
ボクと彼は初対面でないにしろ、こうやって至近距離で顔を合すのは この日が初めてだった。
おもむろにてつのぶが沈黙をけ散らしはじめた。
「お前ら好きなバンドとかあるんか?黙っとらんで音楽の話しろて」
どういう経緯でこの場が設けられたか今では知る由がないのだが、 「お前ら趣味合っとるで友達になりゃええがや」と機転をきかしたのか、 であるならいかにもてつのぶのやりそうなことだった。
当時音楽遅刻なボクはそれほど洋楽に詳しくなく、ビートルズも青盤赤盤を 知っていたぐらいだったが、ストーンズはカッコいいと思っていた。
彼もストーンズが好きだった。のちに分かることだが、彼もボクも初期の いわゆるブリティッシュビート期の60年代のストーンズがとりわけスキだった。
だが話はそれほど進まず、その日はお開きとなった。
朝家を出て学校へは直行せず、毎日集まるいつもの喫茶店の昼ごろだった。
彼は、なんやまといった。
ボクらは高校3年になっていた。

(つづく)


最近いろんな雑誌で取り上げられLomoを知る人も多くなってきた。
MLでも「盛り上がってますけどLomoの何が魅力なんですか?」
というクエスチョンがあったり。
これが実にむつかしい。
言葉で説明しても説得力に欠けるっつーか撮った写真をWebでもいいから たくさん見ることとかかな。買う前に知りたいのなら。
ホントは自分で撮ってみりゃ一発で分かると思うんですけど。
だって、
「独特のボケ具合が..」
とか
「周辺光量が落ちてスポットライトみたいな効果が..」
っていったところで(ま、それはLomoの魅力の一部なんだが)やっぱり伝わらない。個体差があるようで周辺光量がほとんど落ちないのもあるそうだけど。
で、ボク的に言葉であえてLomoの魅力を表してみると
「偶然」
がキーワードかな、と思ったりする。
記念撮影とかかっちりした写真(いわゆる双方「必然」)撮るなら一眼レフ、普通のオートのカメラや写るンですの方が適任つーか安全牌じゃないかな。
例えば、街で「撮らせてください」って頼んだ場合の写真て記念撮影的なわけで、 それとは対極にある気がする。
- 偶然のショット。
現像されたきて初めて「おおお!これいいじゃん!」ってな感動。
その多くは隠し撮りやノーファインダー(ファイダーを覗かずシャッターを切ることね)によることがおおい。両者は切っても切れない関係にあったりする。
時には、わざわざノーファインダーにしなくともちゃんとファンダー覗けばいい場面もあるが、敢えてそこをノーファインダーにすることで現像まで予想できないという楽しみもあるわけなのです。
ノーファインダーだと被写体がちゃんとおさまらずぶちって切れてたりするんだけど、これがLomoの場合逆に効果的、躍動感つーかなんつーか。
ただ人を隠し撮りする場合、やはり背面から攻めるのが一般的なわけで おのずと背中向けた写真が多くなる。これはいたしかたない。
ただいつまでもこれではやはり飽きてくる。動物写真も簡単だがそこそこにしとかないとだんだん動物ばっかりになったりする(笑--自戒もこめて)。

そこで最近ボクが挑戦しているのは正面からの隠し撮り。
リスクを背負ったそいつにゃ多少のテクがそれなりにいる。
テクというよりこれは演技の範囲に属するやもしれぬ。
まず自分がカメラをもっているというのを悟られないようにする。
手にすっぽりおさまるので携帯を手にしてる風を装おう。
で、被写体をコレ!って絞ってからはあまり被写体方向をちらちらみない(そりゃそーだ)。
こないだ駅前でバス整理をするおっさんをこうやって撮ったんだけど、 ボクの左側で椅子に座ってボクの方角(右)を見ているのがわかる。
背中に視線を感じる。時にはその1枚のために時間をかけねばならない。
焦って悟られては、撮影は許可されたとしても偶然のショットはおがめないわけで。
例:そのおっさんが鼻ほじってるとことか。
当然振り返って撮ったのではばればれだ。
なので後ろに視線を感じながらも、振り返らない。
そして距離を考え、設定。ボクは一切振り返らずLomoだけを 瞬間的におっさんに向け、シャッターを切る。
その後も不自然な行動は避ける。相手には「なんか音がしたけど、なにかな?ま、いいか」と。カメラであることを悟られないように。
小さいころから部屋で死んだマネとか繰り返してきたボクにはこの程度の演技ならおちゃのこさいさい(なんじゃそれ)。
余談であるが、
その写真はまだ修行中なので頭の上の方がダメな感じでプチっと切れてしまった。

同じくレンタルビデオ屋でも小さい子供を撮った。
自分の左前に母親(前の棚を見ている)、自分の後方左に父親(後の棚を見ている)。そして肝心の子供は父親付近にいる。いっとくが決して変態ではない(笑)
が、こういうとき撮る側が女の子だと警戒心が薄いだろうと思われつくづく女の子に生まれていればなーと思う(わけがない)。
ずっと狙いを定めて(ストーカーかいな)、距離も設定、シャッターカバーを外し、シャッターボタンに指をのせておく。万全の体勢だ。
子供が後方左から後方右、つまりボクの真後ろ方面へ歩みよってきた。
ボクはLomoだけを手首をひねって裏返し、
前方のビデオ棚のビデオを見ているフリをして
真後ろへ歩いてくる子供めがけてシャッターを切った。
現像前だが、あまり自信はない。まったくずれずれかもしれない。
でもLomoってこういうアクロバティックな撮り方する点においても 他のカメラと一線を画していると思う。
ボクはこれを勝手にバックノーファインダーと名付けようと思う(笑)。ちゅーか名称募集。
ま、こうやって撮ってる人もすでにいるかもしれないけどね。
ようは遊びなのだ。
Lomoは本人が思ってもいなかったような面白い写真を写す立派な大人の遊び道具なのだ。
ただ一言言わせてもらうと最初の1本(〜数本)なんてまともな写真はあまり望んじゃいけないっす。1枚でもこれいい!ってのがあったら御の字。
MLでも、だいぶ前に買ったけどあんまり撮ってないって人がたまにいるけど、 たぶん最初の1本がぶれぶれだのぼけぼけだの、でそれを味と見ることができず(完全に失敗も経験上たくさんあるはずだが)放り投げていたんだと推測できるけど、 Lomoは撮れば撮るほど分かってくるし、手放せなくなるとボクは思ってます。
馴染んでくるって変な表現だけどまさしくそんな感じ。
未来のことは分からないが、ボクはこのカメラを一生使っていきたいと思うのだった。


1999|05|20
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▲いい加減わかったって?ま、いいじゃん。

やあ。
最近コンビニでオープラスみかけないっすね。
あ、500mlのじゃなくて1.5。
そんなわけで風呂上がりに水のようにゴクゴクいく愛好家の ボクとしては悲しみの最中にいるわけで、と途方に暮れていたところ 商店街の薬屋に売っていてなんと198円くらい。
枯れたスーパーのような制限はないのだが、重いのでおひとり様2本まで。
絶対アサヒ計算間違えてると思うんすけど、だってオープラスっつったら カロリー0、脂質、糖分0で、あの風呂上がりの爽快感をゲットさせて くれるわけですよ。サプリだか桃天(妙に略すなオレ)だか、ちゃんちゃら いけてないっす。ウソ、ボクにゃちと甘すぎかな、と。
そんなわけでいつの間にやらオープラスからオープラスVにグレードアップした彼ですが、1.5が追いやられたことを差し引くとグレードダウンすね。
あ、オープラスいまいちっすーとかいう不思議な方々へひとこと。
彼は普段飲んでもまったくうまくないです。
あれは風呂上がりや汗異様にかいた後にしか効果てきめんになりません。
使用法に御注意ください。

なんだかいろいろ時間がなくてココ更新できないんですけど、書きたいことは結構あっては消え、あっては消えを繰り返して今日に至っていますが、 ネットを通じての恋愛はては結婚、いきすぎちゃえとばかり離婚などいろいろきく昨今ですが、というより離婚とかおもろいので誰かサンプルください。

先日、ある人のページを読みました。それほど知り合いなわけでなく、家系図でいえば「はとこ」レベルな彼女。
チャットみたいなもの(しらんもん、ネットミーティングとかいろいろあるんでしょ?しらんての)で知り合って、で、仲良くなって電話するようになって、でも遠かったりして会ってなかったりして、で、「結婚する?」とか、「うん」とかだったりして、会わずしてゴールインてな具合でオレ的にはそれ人生はったネタやろとか思ったり勘ぐったり、いろいろしてみたりして、ただ彼は、

車椅子

の人なのです。
こうやって書くと偏見だとかなんだとか非難ゴーゴーなのかもしれませんが、ちょっとココロが震えました。

ネットで知り合ってまだお互い会ったこともない。
電話で結婚しようと同意。
彼の方は車椅子。
でもまだ会ったことはない。

がんばれ愛。ボクにいえるのはたったそれだけなのです。
そしてドラマって素晴らしい。たかがドラマがボクに教えてくれることがまれですが、あるのです。以前やっていた「世紀末の詩」から、

「愛とは信じることではなく、疑わないことだ。」

バカみたいですけど、この言葉すごくスキなんです。

もっと話したいですが、今日はこのへんでお開きとします。起立。


1999|05|10
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▲いつまでこれあんの? あ、ボク作Lomo S'Wallみたいヒトどうぞ。

さて、5月っすね。毎度由貴ちゃんのMayが耳鳴り。
ここんとこのんびりやんわりくんなボクですが、 「Not Forbidden」トップがイマイチ不評で(なんでやねん)、 トップ変えました。
びびりました。
600K超えてます。バカっ。
でもこれローカルで見ると一瞬なんすよ、だからパクった(いや黙って使わせて頂いております)Javascriptに絶妙な隠し技があるんじゃろ、そうじゃろ、そうかな?、そうでしょ?、そっか!、そうあるべきじゃい、とか 高を括っておりましたところ、括りすぎでした。
ダメダメっす。重いなんてもんじゃないです。
しかし、一応やる気ゼロを奮い立たせて(ノンエロ)がんばったわけで、ボツじゃあんまりっすよーなわけで、
急遽以前作りかけてたやつでちょいと(だけ)軽いのを作りました。
で、シーソーゲームなわけです。
軽い方は、ストーンズのメインストリートのならず者へのトリビュートっすね。
あ、重い方も努力したんすよ。アニメーションの数半分以下にしたり。
でもどっちみちトゥー・ヘヴイでしたので。
ま、カウンターもないですし、1回でも見てくれればトップから勇み足で入る必要全然ないですから、てことで。必要っちゅーかまた来てね、ラブ。

で。
なにもしてないように見えて「Photos」をリヌアルしてたりなんかする。
前はカメラの画像をざーっと並べてたんだけど使ってないのもあったし、それでいて 「カメラたくさんもってるんですね〜」とリスペクトしげしげな勘違いされたりして、ほとほと困りはて途方に暮れ(前13文字微妙にウソ)、それと最近まで一応がんばって短期集中講座を踏ん張っている「Red Pop Lomographiere!」なるどうにもうさん臭いLomoのWeb写真集(通称:LomoのWeb写真集)は無視され、Lomoってとこだけ(1枚1枚見るやつさ)見てたヒトもいたようで「いかんがな」と力強くココロ強く察知し、わかりやすい構成にしようプロジェクト第二弾、その名も五月病(サツキヤマイ)。
とてもきれいでおおきめの花を咲かしそうな植物の名のようだ。白に紫の線が中心に向かっていると思われる('99ココロ調べ)。
ついでにLomoのバナーまで作っちゃってあくまでバカ。

そう、で、そのやばげな「Red Pop Lomographiere!」を久々更新したんすよ。見てくださいよー。
あ、テレホタイムは避けた方がシアワセかもです。ゴメンね。
100ページ1册の当初の規則、規格、記憶もなんのその46ページっつー「きもわるくないんかい」的ページでVol.I終了。
あ、Iもちょっと変えてます、endとか付けたし。
で、Vol.II(全20ページ)をラララ〜と作ったわけです。
こんくらいがいいね、一気にラララ。
Iはほとんどレイアウト考えずに勢いでやっちゃたからね、IIはちょっとだけ考えて作ったので是非「Iの方がマシだったっす、がっかりっすー」と慰めてください。

つーわけで久々の更新(ココね)なのに、ページの更新のっことばっかでおもろないねぇ。
あ、ゴールデンヰーク。
すげえ家の近くで無理矢理フリマ(畳1畳単独チーム)やってて、 和田勉みた。さすがに正面から撮るのは怒られる不安よりもLomoに悪いかなと思って後頭部直下型スカッシュ。これでも次の写真に影響ないか気使ったよ。

あ、和田勉フリークのみなさん、ゴメンね。
こないだの日曜は、電撃ネットワークの和田勉ぽいやつ(名前しらん)見た。
髪青いやつね。あいつウロウロしてるよ。で、でけえの。意外でしょ?
久々にEOS持ち出して商店街をウロウロするもダメやねぇ、Lomo的視点になってっから普通の一眼でなに撮るのかすっかり忘れてるというかおもろい被写体発見できず。
ゴールデンヰークにもすかすかLomo撮りまくったんで暇見て更新しますね。
あ、映画もビデオでちょくちょく見てるけど、全然更新してない(どころかすでに映画のページに辿り着けるヒト少ないと予想中)。
CDも然り。
最近買ったのは、Ben Folds FiveとHurricane#1とSuedeの新譜。
3CDチェンジャーでループしまくってます。
Only the Strongest Will Surviveめっちゃかっこいい。

あ、そういえばネット始めた2年半ほど前携帯人生から足洗ったんだけど、 このたび何の因果かまたこの道に足を踏み入れてしまいました。
番号は、090-6102-5116
ロシアン携帯ロンリー版を是非やってみたい方はどうぞおかけください。
「だれやねん、キミ」と首かしげられても一切責任負いませんのでどうぞお楽しみください。
では、またね。