essey#002 NIPPON
今日は「日本」についてのエッセイということで、ぱっと浮かんだ
「日本語」についてなけなしの脳を使って書いてみよう、と思う。
最近Oxford English DictionaryにKAROSHI(過労死)が英単語として登録された。ご存じの通り、サザンのTSUNAMI(津波)も立派な英単語として活躍中である。モノマネ文化バンザイな(皮肉でもなんでもなく)日本は、言葉を多くの外国から輸入した。ざっとこんな感じである。
「コーヒー」「ランドセル」「コンパス」from オランダ
「カッパ」「パン」「ボタン」from ポルトガル
「カナリア」「カスタネット」from スペイン
「クレヨン」「コロッケ」「シュークリーム」from フランス
「ガーゼ」「レントゲン」「ゲレンデ」from ドイツ
いろいろたくさん from アメリカ/イギリス
あと、忘れちゃいけないがドレミファソラシドがイタリア語だったりする。
で、冒頭の非確信犯的純日本語輸出攻撃。
江戸時代後期葛飾北斎が初めて使った「漫画」という言葉も結構世界進出してて、1996年にはフランスで「Manga」という雑誌が刊行されたとか。
言葉ってのは一文字一文字に意味がある「表意文字」と、意味でなく音を表す「表音文字」に分けられるんだけど、前者は中国語とかの漢字、象形文字とか。後者の代表格はアルファベット、そして日本語のひらがな、カタカナ。(今思ったが、平仮名、片仮名じゃしっくりこないというか、ひらがな、カタカナだよな、とか思うと日本語はやっぱおもろいな、と)
で、日本語は世界に類を見ない表意文字「漢字」と表音文字「ひらがな」「カタカナ」混合のめっちゃ特殊な言葉なのである(たぶん)。それだけでも充分おもろいのに、
例えば「夜空ノムコウ ©シカオ」を「ヨゾラノ向こう」や「よぞらのむこう」と書いても全然間違いじゃないばかりか意味としては伝わるわけで。
「ヨゾラノ向こう」って脳天気なヨッパライの歌っぽいが、ま、それはそれとして。
日本語のおもろいところ第二弾。
例えば、英語でいうところの「I(私)」。
日本語だと、男子女子でも言い方が違えば、ガキ、じじいでも言い方が違い、地域や身分(身分ちゅーか)、時代でも言い方が違う。違うというより違った言い方ができる、だ。また、意図的にカナ表記なんてウルトラCが使えてしまう。
オレ、俺、おれ、ボク、僕、ぼく、ワ(ア)タ(ク)シ、私、わ(あ)た(く)し、わし、ワシ、おいどん、自分、小生、拙者、ミー(シェーな人限定)..........
さらに、前述したように外来語(主にカタカナ表記だが)や英語の短縮系(パソコン、セクハラ、カーナビとか)、もっというと携帯とかのメールで使う☆とかの記号(これもごく近い将来日本語のサブセットに格納されるのでは?と大胆予測)。それと会社の同僚(台湾出身)がしきりに覚えられないというのが「雨がザーザー降る」の「ザーザー」とか(あえてザァザァとかも書けたりして)「ドキドキ」とか「胸がズキズキする」「頭がガンガンする」の「ズキズキ」「ガンガン」のようないわゆる擬音語とかいうやつ。彼女は英語も問題ないのだが、中国語(繁体中文)や英語でそういう表現はない、という。
とにかくいろいろあるので逆に日本語めんどくせーという抗議もあろうが、こんなに文字だけで表現を変えられるのは100歩譲っても幸福一直線なはずだ。なんでもありなだけに、どう選択するかは作者(作詞者)の手腕如何てこともあり、諸刃の刃なのだが。
曲がどんなかわからないが、例えばこんな歌詞があったとしよう。
君を抱きしめたい 僕は君を捜し続けてる
これに2つほど文字を混ぜると
君を抱きしめたい、僕は君を捜し続けてる。
と、手紙調というか文章調というか、ちーと印象が変わる。
さらに書体を明朝にするとますます重厚感が登場。説得力あるっちゅーかね。
君を抱きしめたい、僕は君を捜し続けてる。
威勢のいいやつ、つけてみると
君を抱きしめたい!僕は君を捜し続けてる!
英語でもできるがこの手の記号も印象をがらっと変える。この詞でバラードじゃないだろ、と思わせ、バラードだったらそれはそれで嬉しい裏切りともとれる。では、日本語ならではのカタカナに一部変換してみよう。主役の2人にカタカナになってもらうと、
キミを抱きしめたい ボクはキミを捜しつづけてる
で、だいぶ印象が変わるし、荒技的にはこんなんだってできる。
キミを抱きしめたい ボクはキミを捜しつづけてル
最後の「る」だけカタカナ仕様。
何か足らないと思ったあなた、もうちょっと足してみたいって?
キミを抱きしめたい。 ボクはキミを捜しつづけてル☆
かなり女子高生とやばい交信ができそうだ。
地球外生命体と交信しようとあがく妄想モードに変換すると、
キミヲダキシメタイ ボクハキミヲサガシツヅケテル
さらに、音楽はあくまで「音」だ!ならば遊んじゃえ、なあなたはパソコンで打つと異常に面倒だがこんなのも可能だ。
キみヲだキしメたイ ぼクはキみヲさガしツづケてル
まるでクロスワードパズルのようである。もはや文章ではなく1つの記号の集まりのようだ。オレがこの曲のCD買ったら歌詞「読む」のは断念するかも。でも、ありである。これこそ日本語のなせる技。
時代にマッチした言葉/表現がすべてではないが、日本語のこのあらゆるパターンの表現方法は音楽を作る人や物書きな人にとっては無限の可能性を秘めたものであり、すげえ楽しいものなのだ。といつもながら思う今日この頃。
流れを断ち切るかのように無理矢理最後締めるが、ラモス(元Jリーガー)が前に言っていたっけ。
「日本語の「ありがとう」って言葉はとても美しい」と。
よく口にする「おつかれ(さま)」ってのも英語では当てはまるものがないみたい。あえていうなら「Good Job!」だそうな。
日本語は表現力豊かで美しい言語なのだと思うと、日本人として生んでくれたおやじとおふくろに感謝でもしとくか、と思ってるフリをしてみたくなる。
シーユー
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