2005|01|26
ん?
風向きが変わるかも。
新たな展開か!?


2005|01|25
中高は自分で席を選ぶことはできないが、大学は自由だ(よね?)。
必ず廊下側に近い、一番後ろを陣取った。
もちろんそのへんが居心地がいい、というのもあるが別の理由もあった。

今やオレがIT関連(めっちゃ広義だが)にいても誰も驚かないが、 20代半ばまでほとんど肉体労働者だった僕が今の会社に入るときは 「できんの?」とさんざん言われたっけ。
今の会社に入る前は酒問屋に2年いた。
配送のトラック、運ちゃんがいて、荷物を積み込む作業を手伝ったり、 トラックが出払ったら10tトラックとかで荷が定期的に入ってくるんで それをリフト使ってパレットごと降ろして倉庫に格納したり。
免許などないがリフトも自由に乗らせてもらえた。
時々ブシッと一番下のケースにぶっ刺してビールシャワーしてしまうこともあったが、大概謝って許された。
で、年末とかかきいれどきには運ちゃん1人の配送(通常午前午後の2回だがそれが3回になったりする)では大変なことがあり、 助手席に乗せられ、配送を手伝うケースがある。
これが実にイヤだった。
東京の道は混んでるしね。
ある年末、声がかかり、「助手席乗ってくれ」とかなりじいちゃんな上の 人から言われたが、結構迷ったあげく断った。
仕方がないのでそのじいちゃんが助手席に乗った。
オレが乗らなかったばかりにじいちゃん大変な目に遭わせてしまったなと 罪悪感を感じた当時の僕。
しかし身を守ろうとしただけなので仕方ねーよ、という気持ち。
でもな、罪悪感の方が勝っていたんだな。
その頃は倉庫内ではベースボールキャップをかぶっていたのだが、 あるとき美容院で円形脱毛症という症状があることを聞かされた。
いつもキャップをかぶってたので気付かなかったのだ。
まじかよ!
結構でかいのが2つくらい。
割と後方だったからそれほど目立たなかったけど人生初経験。
びびったよまじで。
触ったらキュッキュッって言いそうだし。
で、皮膚科に通った。
ハゲ自体は速攻治ったが、友人(現名古屋在住)が心配して、 割と近くの神経内科を探してくれた。
こころの症状について一部の人間には話していたのだが、 こうして体に如実に現れたことで「こりゃまじだな」と真剣に 考えてくれたわけだ。
ま、まじうれしかったね。

(なかなか核心を語れずつづく)


2005|01|24


「死ぬまでにしたい10のこと」って映画。
結構前に観たけど原題は「My Life without Me」。
なんだけどホントは英語圏じゃないから「mi vida sim mi」。
んなこたあどうでもいいけど久々に素晴らしい邦題だよね。

ってそんなことを話すつもりはなくて、コレ映画は「うーん、まあ...まあ」レベルなんだけど音がすごい良かったなあって終わったあと思ったわけよ。
てんでサントラとか買っちゃう柄じゃないんだけどこれは欲しくてね、で、買ったわけ(それも結構前だが)。
映画の中で車のラジオから流れる音楽がどれもこれもよかったんだけど、 部屋で聴くと案外微妙。
でも小学生くらいの合唱隊みたいなのの「God only knows」だけ聴くだけでもモトとれるよ。
これだけでも聴きたいと思ったもん。

音楽ネタで突き進みますが、奥華子。
誰?
こないだ地元の駅で歌ってたんよ。



「はーれー、ココで路上やるやついるんだ。」となにげに近づいたら 結構ギャラリーいるんで聴いたらこれまた結構いいわけよ。
そしたらあるCM曲を「あれ私が作って歌ってるんです」とやったわけ。
それが見事お客さんの心掴んだね。
しかもCD1枚4曲入りで500円とか、いたってリーズナブルなんでオレまで 買っちゃった。
買っちゃったというかvo.1、vol.2とかあって...
2枚とも買っちゃった。商売うめーなー。



さて、そのCM曲ですが関東圏の人で普通にテレビ見てる人ならきっと知ってる。
井川遙が出てます。

♪TEPCOひかりに決めたのは〜
♪工事費がゼロ円で〜
♪100MB占有独り占め〜
.......(以下略)

ってやつ。
でも全部ピアノ弾き語りだから2枚全8曲聴くと、まぁアルバム1枚分相当だと 思うけどちょっときついかな。結構いい曲だけどね。


2005|01|23-2
体はからっきし丈夫だと思う。
昔昔占ってもらった時も「あなた体は丈夫ね」(体”は”?)と言われたっけ。
病気で会社を休んだことはないと思う。
病気だといって会社を休んだことはあると思う。
寝込んだのは東京に来たての19の頃が最後だから(今は名古屋の友人が新聞配達やっててその頃家電もなかったから最寄りの電話ボックスまで辿りついて「なんか食べるもん....」と息絶え絶えで伝えたら、黙ってベランダ?の手すり部分にリンゴとか置いてってくれたっけ。距離結構あったから無理言ったんだけどね)
かれこれ結構寝込んでいない。

しかし人間、体だけじゃない。
心。
ストレスフルな現代、心に病を抱えている人もいることだろう。
ある人は何かの拍子に胃がキリキリするかもしれない(ちなみになったことないので感覚がわからん)
ある人は偏頭痛をもよおすかもしれない(僕はといえば寝過ぎると頭が100%痛くなるくらいしか思いつかない)
ある人は吐き気に苦しめられるかもしれない(吐いたのは高校が最後、もちろんキャパもわからん頃の無茶酒でであるが)
ある人は.....
と、まぁあるのだろうがこういうのは体の中の弱い部分に症状が現れると聞いたことがある。

これから際限なくつらつら綴るこの手記も(いたって大げさ)そんな類の話である。

読み手(つまりあなた)がこれを読んで明日を力強く生きていけるための 活力になるような輝かしい結末があるわけでもない。
これはただの告白である。
告白は当人にとってはある種「意を決する」ものなのだろうが、告白された側にとっては「え?私?」みたいな最もどん底な反応未満だったりするわけで。
僕はこの告白をする意味を知らない。
いや仮に知ってても知らないフリをする。

(前フリが重すぎて自らだんだん書きづらくしていることを本人はうすうす感じ始めている)


2005|01|23-1
去年の夏帰れず、事故で毎年恒例の年越し曲作りも敢行できず、というより 入院騒ぎ(いや実際入院)で親に迷惑この上なかったのもあって、 かなり久々に年明け早々名古屋に帰ったという長い一文が今日のnotes のはじまりです。

つーか3週間前の話かよ。

とりあえず原宿キディランドで弟の息子と友達の息子にプレゼントを買ったのだが、 これはまる。
つーか全力で楽しいです。
きっと親に曲がりなりにもなった際にはめちゃくちゃ甘くなって
「コレ買ったらコレもシリーズだからいるよな。なあ?」
とかガンガン一度に買いそう。
で、母親が「パパ甘やかすからダーメ!」とかいって。
これきっとよくある家族のパターンなんだろうな、きっと。

名古屋着、地下で発見するは「ええええ」とブーイングかます知ったかなキミこそ 味覚破壊野郎であることを証明すべく「小倉トースト」なり。
これ名古屋ではいたって普通なメニュー



もういたって久しく食ってないがうまいんだぞ。

地下鉄は全車両貸し切り中吊り広告がパチンコ屋だし、 610台収容駐車場とかとびっきり態度でかいし、ステキです(パチンコもうやってないけど)

で、友達連中も家庭をもったやつが多いんでスケジュール難しいかなと思ってたんだけどうちに6人集まって麻雀とかやってました。
オレ以外の5人が1人1台車乗ってきて5台集結ってのも笑えたが。



ちなみにリハビリ中につき牌を積むのがかなりイケテなかったですが、 トップでした。

その後、去年くらいまでは居酒屋に車で行くのが当たり前だったのに
「いやあ、名古屋も厳しくなってまってよー、車で飲みにいかんのだわ」
と当初名駅(名古屋駅の意、めいえきと発音する)集合だったのだが、なぜか車で飲みに行く。



ホントこいつらアホばっか、というか高校(一部中学)時代からまったく変わってねーもんな、奇跡的すぎて笑える。
ホントリラックスするし、楽しい。なーんも気を遣うわけもなく。
一生切りたくても切れない連中だ。
シアワセだな、こういうの(つーかライブ名古屋から見にこいや!)


2005|01|18
1/18のnotesはココ


2005|01|14
ま、お守りだ。
なんのひねりもすたりもへったくれもない。
ついでに言っておくと東京へ来て初めて初詣らしきものに行った。
近所の神社ではおみくじらしきものがなく、これでは日本男児初詣へ 行ったと胸らしきものは張れない。
午前2時。甘酒らしきものを飲んだ。



アルコールらしきものがないっぽかった。甘汁?
大晦日に生涯最長のヒゲらしきものをそぎ落とした。

それから2週間。
つまりさっき。
会社帰りに自販機でタバコを買って50円お釣りを取ろうと思ったら 55円。
5円らしきものがあった。
ご縁。まったくひねりもくねりもおまけにくびれもないのだが、 ご縁を拾ったなんて2005・ザ・カーニバルである。

じゃ、4日ほど戻るか。
今日は和で行こう。
成人の日らしき日の東横線らしきである。

振り袖にブルーアイズ。
いわゆる蒼い瞳のFURISODE(フ・リ・ソ・デ)!。



痴漢をガマンしきれなかったような感覚で現行犯でいたって恐縮この上ないんだが、 携帯。
これ限界。
これ精一杯の勇気。
つまり、あそこへ手を伸ばしたいがさすがまずいやろ、やばいやろ、.
そうだなしょうがねえ手の甲をケツに押しつけるか!レベルの弱小さ加減である。
ちなみに大変申し訳ないが痴漢は未体験ゾーンなのでご通報はご遠慮よろしく。
さて続きがある。
渋谷で降りたので直接「シャシンイイスカ?」と英語で2人に 真っ向勝負。
勝負をみすみす逃すわけにゃいかない2005である。

左から「NO!」
もっと左から「NO!」

秒殺であった。
残骸!(類似品にご注意)


2005|01|12
電車が苦手である。

だから雨の日も雪の日も飲んだ日もつっこんだ日も滞りなくバイクなのである。
しかし事故の成果(おかげと読む:使用例の誤り)で電車通勤を余儀なくされている。
調子のいいときはすんなりいける。

今日は調子がよろしくなかったらしい。
最寄り駅から4つ目の豪徳寺で一度降りた。
下北で乗り換え、1こ目の池の下で降りた。
次の駒場東大前でも降りた。
わずか10駅ほどを乗るのに3駅降りたことになる。

これ以上行けないと思うことも何度もある。

何年も前に電車でないがあることが原因である症状が体にでた。
そこで初めて僕の友人連中は単に電車嫌いなだけでないことに気付いた。
人それぞれわざわざ言うまでもない何かを握っているかもしれない。
誰かにとってそれは些細な悩みかもしれないが、 当人にとってはいかんともしがたい問題だったりする。
別に公にすることでもないが、長く日記みたいなものを公開してきたわけだし、 そろそろ書いてもいいかなと思う。

実は新幹線は大丈夫である。


2005|01|11
10日遅刻であけおめ!

さて、初といえば常時瞬間睡眠を無意識に駆使してしまう男、そういわゆる僕。
「夢」は見なかった。
とても残念である。
「夢」ばっか見て常時まぶたの重みと格闘のあなたを見習いたい。
なんなら真似してみたい。ウソ。
なんでかわからんが突然。
初恋愛を書こうとか思った大バカものがココにいる。
いっとくが初恋ではない。
初恋は小4か小5の加藤かおりちゃんだ。
もう1人のクラスメートと戦った記憶がある(ケンカとかじゃないけど)
加藤かおりちゃんはオレたちより背が高く、ちょっとハーフな感じの色白な女の子だった。
この関係は岩井俊二の「打ち上げ花火下から見るか?横から見るか?」がマネ した程結構あんな感じである。

中3。
僕は頭が悪くなかった。たぶん勉強していたんだと思う。
しかし優等生みたいな軍団とも、いわゆるヤンキー軍団とも交流があった。
放課後、女子トイレに潜入してタンポンをとってきて振り回したりした記憶もある(前後の脈絡関係ねーし)
クラスのワル2人がトイレでタバコ吸ってて、吸ってないオレと3人で話したり(タバコは高校入るまで吸ってはいけないものだと思いこんでいた、ある意味正義感バリバリな中坊だったのである)。
シンナー吸いまくってバッターボックスでバット降ってる○やんはさすがに 近づいちゃやばいと思ったが、そんな○やんとも普通に話したりしてた。
これまでは伏線(つーほどでもねーか)

中2か中3の頃、僕は3人の男友人とつるむことが多かった。
他の2人の方がややワル寄りではあったが、アホなことを結構やってた。

教室。
もうこれは映画の世界だ。
その後僕の彼女(窓から手前2つ目の席、隣は野球部でピッチャー、かなり大人びてかっちょよかったヤンキー)となる○○に、ワル連中がいう。

「お前、さっきから○○○○(わかると思うが僕のこと)見とんじゃねーの?ヒューヒュー」

彼女顔が真っ赤になる。
同じように僕(彼女の席から右斜め後ろ、列の真ん中あたり)もいわれる。
目が合う。
どっちがスキになったのかわからないが、周りがはやしたてると 意識するもんだ。
またしても岩井俊二の「Love Letter」に同じようなシーンがあるが、もうあのまんまである。
岩井俊二、オレの青春盗みまくりである。
さて、そのうち僕は巨乳○○が気になって気になって状態になったわけである。
思春期とはそういうものである。
でも彼女をネタにした記憶はないなあ。
覚えてるのは前述のヤンキーなピッチャーの彼女だった、これまたヤンキーでかわいい女子をネタにしたことがあるくらいだ!(悪いけどごちそうさん!)
もう時期とかなんとかは記憶にないが、告白したのは卒業式だったと思う。
ちなみに後輩に学ランのボタンせがまれあげた記憶もある(自慢かよ)

そして付きうこととなった(卒業で会えなくなる今かよ!ってなツッコミ歓迎である)

告白した帰り、例の男3人でいろいろ話ながら帰った記憶がある。

彼女は家の関係でカトリック系の女子高へ行くことになっていた。
僕は覚醒以前だったので(謎)進学校へ行くことになっていた。

卒業旅行でスキーにいった。
男6-7人とかいたかも。
宿泊先から彼女の家へラブコール(携帯じゃないのがミソ)だ。あついねーコノヤロー。

「あ、○○?(いっちょまえに呼び捨てだ)今さ、xxxx xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx(会話は覚えてない)」

たぶん5-10分話したんだと思う。

僕の初恋愛はそこで終わった。

ん?

僕が○○と思って名前呼び捨てにして意気揚々と話していた相手は 彼女の母、そう○○マザーだったのだ。
うそーーーーーーん!!
規律厳しいカトリックの女子校は男女交際など当然認められず、 なかば強引に引き離されたのでした。
携帯とかもない時代。
連絡もとれず、瞬間に終わりました。
でもなんだかいい思い出です。
たぶん有名になって(ま、なるんだけど)再会したい人○十年ぶり!みたいな コーナーが会ったら彼女と会って、あのときのこと聞いてみたいよ。

それはそうと、あの巨乳一回もんでおきたかったぜ!