1999|06|23
rgbレポート:見るべし!
▲いい加減わかったって?ま、いいじゃん。

そこが有名なところなのかどうか知らないし、知ったところで「へえ」と思うだけだが、今日のお昼はイレギュラーで青山つーか表参道だったので、すたこら1人で行ってみた。
その前に会社のおばさん(といっても年齢と容姿行動言動が一致しないのでどちらかというとおねえさん)が教えてくれていたのだ。
ボク「ねー××子〜、このへんでうまいとこないかなー」
(うちはファーストネームなので年功序列無関係に呼び捨てラッシュである)
××子「このへんだったら○○がおいしいよー、地図かいたげる」
ボク「いえーい、さすが××子、年季はいってるぜー」
××子「こらー、もう教えない」
とまるで子供チックなやりとりを経、店情報ゲット。
行く。
かつ定食とやら。う〜ん、肉が柔らかい。ふにゃっと切れる。

ここで気づいた。
テレビのグルメ番組とかコーナーで
「このお肉やわらかーい、噛まなくても切れちゃう〜」
とか系コメント。
これは「ものすごーく、おいしいいーーーーいいいいい」の代替コメントなのか?
少なくともボクはこの柔らかい肉を食って「柔らかい」と思っただけだったのだった。
いやむしろ

(1)箸でかつをつまむ
(2)口へ運ぶ
(3)口に入れる
(4)もぐも....
(5)あれ?もうない

ザッツ・オールである。

上品ていや上品な気がしないでもない気持ちをココロにいだきつつ、
すぐなくなる事実は100歩譲っても悲しいかなゆがめられないわけで。
そんなわけで、うまいまずいの判断以前な風潮がボクの脳付近でどよめいたのでした。

商店街のいつも行くとんかつ屋の歯ごたえのある肉のほうが固いけど勝負しがいがあったっつーか、自分に馴染んでたなーなどと思ってみたりする昼下がり。

好みなのか。
いや、柔らかいのが一般的にうまいとされるのか。
いやはや、単に慢性貧乏性にどっぷりくんなのか。
ベット!

毎日毎日遅くまでお仕事ごくろうさまです。
あ、オレにね。


1999|06|20
rgbレポート:見るべし!
▲いい加減わかったって?ま、いいじゃん。

いえい、久しぶりっす。
「彼」のあとがきいたって不評でノリノリ気分でございます(ほっとけ)。
ま、元々はあとがきの部分だけを書くつもりでいたのでございますが、 そのうち「彼」のことを活字として残しておこうという気になり、さかのぼって 書いていったのです。でも読みものとしてはあとがきがなかったほうがいろんな 解釈ができるからよかったってのも分かっています。

またいつか事実に基づこうがそうでなかろうが書きたくなったら書きますので よろしくお願いいたします。短いですかこのへんで挨拶とかえさせていただきます。

(つづく)

で、今日髪切ろうかなと思ってます。
でも「アントラーズの柳沢さんみたいにしたら?似合うって」ってアドバイスは却下いたします。そうするとボクは単にえせさわやかを標準装備したえせさわやか青年になってしまうからです。
と思いつつ髪切るのは来週あたりにしようと思ってます。

ところで偶然にも男どアホウなボクは「ひとつ屋根の下」のビデオを借りてきちまいました。どうでしょ、このアホさ加減。見直しました?
で、再生ボタンプイッと。画像いきなり線はいりまくって荒荒です。
「なんだよこれ」と悲しみ反面、「こいつこんなに多くの人に愛され、借りられ、観られ、人々に感動を与え、めぐりめぐってここに辿り着いたのか」と妙な感動を覚える。いちいち感動を覚えるこの小市民さに幸あれ。
なんだかんだいってこのインチキひとつ屋根の下フリークのボクですが、 1話って観てるとこと観てないとこあんだよね(再確認)。
1話、2話は泣けず、3話。小梅キャバクラ奪還劇で涙。
ちいにい「なんなら店ごと買い占めるか」
くー、野島脚本。確信犯すよ。休日の昼間から泣かすんじゃねーよ。
あ、これって何年前だろか。えらいおもろいっすね。
髪型とか。酒井法子とかメイクこわいし。イッセーいしだまだぼうやだし(笑)

あ、そうそう。Yahooからうちのページ「Coolめがね」とやら剥奪されました。
どうもログがいつもとちゃうなーとか思ったらそういうことでした。
ま、妥当でしょ。
Yahooの映画、レビューらしきところから一期一会な方が大勢押し寄せて無言で帰っていく状態がいつまで続いてもボク的になーんもおもろないですし、って「movie」ページは下のほうで(ディレクトリ的にはほかのメニューと同階層だけどね)見つからないように置いてあるし、つーかほかのページ適当に回ってればすぐ見つかるけどね、ま、いいよ。いずれこうなるんだろうとは思ってたし。
ただYahoo側でいつそのネガネをはずしたのかあまりにもわかりやすいんでおもろくてその瞬間のログ(前後5日間)を見てみましょう、どうぞ
笑います、まじ。
つーか今までYahooに依存してたんがおかしかったんだな、はっきりいって。
何度もいうようにここは「音楽」がメインのページであって、過半数いやいや9割がた映画レビューみたさに来られてコメントされても困っていたりするボクがいたわけで、そんなわけなので引き続きよろしく。

すごい勢いでアクセスは減りましたが、1人でもホントにここを見たい人がいれば このサイトの意味はあるのだと思っています。(つーか更新せーや)

あまのじゃくなボクは今日何ヶ月かぶりに「Movie〜New Movie Review」を9作品更新しました。
と書きつつ、さっきトゥルーマン・ショーみて速攻書いたので(いっつも速攻書きなはれ)10 moviesっす。いいにく。
同じく「Music〜New Disc Reviw」も10CDレビュー、で、「Guest」も3人追加。
「Photos」は撮りまくるのはいいけど整理できんし、部屋狭くなるし(どんな荒らしぶりじゃい)、もうちょいちゃんとしたら更新するっす。


1999|06|09
rgbレポート:見るべし!
▲いい加減わかったって?ま、いいじゃん。

あとがき

「もしもし?」


電話の相手は彼の母親であった。


「息子が亡くなりました、遠いところ申し訳ないですがちょっとでいいですから息子のために手を合わせてもらえますか」


ウソだろ。
嗚咽は彼の母親でなくボクの心であった。
いや正確にいうと「夢だろ。ウソだろ。」一点であった。
まだ彼が東京にいたころ、ボクの家で消音中のテレビから彼はさっそうと お互いファンではないもののモノクロ写真の尾崎豊を見つけた。
ニュースのようだった。
いや正確に白状するとボクはファンであった時期があった。
彼、尾崎豊が亡くなるずっと前のことだが。
彼は「絶対死んだんだて、おかしーがや、モノクロ写真だぞ」
そういってテレビのボリュームを上昇させた。
そう尾崎豊逝去の訃報がニュースから垂れ流されていた。
同じ音楽人として少なからずショックだった。
彼はのちにこう言っていた。
「尾崎はあれだけのものを残して死んだ、あいつの死んだ年齢に達して生きてるオレらはもう死ねない。オレらは生き続けなかんわな」

そう、生き続けな。
そう言ったじゃねえか。
確かにそう言ったじゃねえか。





















とここまで来て彼を殺してもなんなんで話を特におもしろくない事実に基づいて進めようと思う。


「もしもし?」


電話の相手は彼であった。


「オレ、結婚するてー、今月中に籍入れて式は10月」


別にびっくりはしなかった。
曲ももう作ってないようで音楽には未練がないのだろう。
人は変わっていく。
そしていつかボクの音楽に対する情熱がなくなったら「ほれみたことか」と言われるんだろう。God Only Knowsである。こればっかりはね。
彼もボクも曲を作ることに努力はしたが、それ以上のことをしなかった。
いやボクはまだこれっぽっちも音楽あきらめてないんで現在進行形だけどね。
彼には才能があっただけにボクからすれば「たられば」だがもっと出来たのにな、と思うこともある。
いや彼は成功すべき人間だった。
いや彼は成功した。
そしてやはりボクらの関係は変わらない。
夏には2人の新居を自分ちのように使わせてもらうぜ(笑)

後日J-Phoneのスカイメールがきていた。
「お前、式で東京代表としてスピーチしてくれん?」
「オッケー」
「Thank you!」

基本的に目立ちたがり屋なんでスピーチはいいけど、 出てる結婚式のほとんどスピーチやってるのは気のせい?
でも今回のは感慨深いね。
長文読んでくれた人、ありがとう。
友達を大事にしようぜ。

(ほんとのおしまい)




1999|06|03
rgbレポート:見るべし!
▲いい加減わかったって?ま、いいじゃん。

第六回

時はボクらの人生の進み具合にはおかまいなしに淡々と消化し続け、 友達連中は1人また1人とおおよそ無言だけを残し東京を去った。
彼のさよなら東京も当たり前のように訪れた。
彼自身も心の病を患い、どうせなら実家で直したい、音楽はどこでもできるというのが一般に明かされた当たり障りのない妥当な理由であったがホントの理由はそんなよく見えるものではなかったんだと思う。やはりそれも無言なのです。
名古屋へ戻るやいなや彼は突然猛勉強を始めた。
なんでも公認会計士をめざすのだという。
その国家試験の倍率は非常に高く、というよりも 専門的に学んでこなかったものが挑戦するには一言でいえばアホたれ、そう相当の覚悟がいる程難関であるというものだ。曲も順調に作っていたようだったが、もはやその才能を封印する決意がありありと感じ取れた。ボクと彼がめざした2本の線の1本が静かに消えていった。
才能を使わなかったということは何もしなかったということかもしれない。
ただ夢が形を変えるのは別段珍しいことではないし、情熱の途絶えにあらがうのは不自然にエネルギーを消費するだけなのだから第三者のもったいないは当事者にはどうでもいいことなのだ。
そしてボクの情熱の糸が切れかかっていたらすぐつっこみ入れると彼は言い残した。
人は変わる。でも決して変わらないものもある。それは感じるしかないのだ。
血の契りでも、紙っぺら1枚の約束事でもない。
ボクらは年に1回お盆に帰省した際に遊ぶということを繰り返した。
毎年1時間半車をとばし、名古屋駅まで迎えにきてくれた。
電話も年に数回あるだけでコンタクトは急速に減った。
ただボクらの関係は何一つ変わらない。寝かせてなんぼのワインでもなく、雨ざらしに合う前のいわゆる錆びひとつないピカピカの自転車でもなく、ただ何も変わらないのだ。
それは特別光を放っているわけでもなく、ただそこにあるだけなのだ。

春が終わり、夏らしいざわめきと匂いが街にたちこめ始めていた。
くちびるが描くメロディははからずも長調を紡ぎ出し、ないはずの永遠がそこかしこで優しく笑っていた。
そして太陽のまぶしさはとうに地球の反対側へと向かっていた。
けたたましく鳴り続けるとてもとても静かな呼び出し音。
ボクは受話器を手にした。
「もしもし?」
ハロー、ハロー

(終わり)