2000|11|28
さて50日ぶり!
この間逝ってしまった人いないでしょうか?
健在ですか。そうですか。
50日間まずアジア圏を攻めて、上海、北京経由(中国向いてないかも)で インドネシア、ポリネシア諸島(ハワイの影響まるだし)をぐるぐるとし、 インド、チベットでちょっと祈り、モンゴルで 遠い祖先たちと再会を果たし(笑顔がいいんだみんな)、ベトナムで生春巻きを食い(ボクにはちょっと辛すぎたかも)、寒いので北を避け、西へ西へ。
ストイコビッチのママに会いにまだまだ情勢不安定なユーゴに侵入(さすがに銃を目の当たりにするとちょっとだけびびります)。
こないだまで仲間だったクロアチアの地を踏み(kazは いつの間にかサンガであった)、スペイン(城も過去の 人となっていた)、フランスでジダンを遠目から拝み、 パと辛うじて握手に成功。
そしてイタリアへ。
めざせフットボール世界一周のヨーロッパ大会もいよいよ佳境に。
スウェーデンのタンバリンスタジオに迷子になりながら なんとか辿りつき、ロッタちゃんはいつの間にでかくなり あまりかわいくないなーとつぶやきながらやっぱり寒いので 南へ。
モロッコ。なかなか過ごしやすい。また来たいところだ。
ピラミッドを見てちょっとだけ涙が出る(みんなが思ってるより高いんだって)。
いろんな動物がたくさん出てきたので身の危険を感じ、ここから 船でアフリカ大陸を脱出(意外に船は安かったのだ)。
左(西)の南米をめざしたが途中で金が切れたので(まるまる 1年貯めたのにたったこれで終わりか)やむなく帰国。
めっちゃ要約するとボクの空白の50日間はこんなところだ。
なわけもなく
ぶっちゃけていうと母国日本でしっかり歯を食いしばって生存競争に 明け暮れておりました。
さて、空白の50日間ですが上記も厳密にはウソではないのですが(ウソです) お茶の水という普段ボクの行動範囲からからくもはみ出してしまっちゃっている 地帯で人生の結構な部分を過ごしておりました。
そう、知ってる人は知ってて知らない人はかたくなに知らないお茶の水。

10月21日より11月12日まで3週間「SurugadaiHotelProject/TokyoLomoHeads II」というイベントをやっていたのです。

ま、イベントのタイトルからしてずば抜けて/以降はオレは見ないぜな人以外は 察してくれると思うがロモのイベントです。簡単にいうと。
準備は10月の初旬より。
イベント終了後、最後の最後のGrandFinlaPartyが11/19。
この50日間ボクはココロも体もお茶の水に浸かっていました。
びちゃびちゃです。
お茶なのに水ですから、そらもう大変です。
で、やっとすべてから解放されて通常の日常が図らずも戻ってきましたので こうやってめんどくせーなーと半ば投げやりに書き殴っている次第でございます。
なんだよこのG3突然ネットつながらなくなってふざけんなよとか 世の中喜怒哀楽は四季ともどもあらゆる輩にまわりまわってくる予定調和の中では ございますが、ココにせっかくの機会なので準備からイベント当日までの とても楽しく、生きた心地のしなかった実にポジティヴで地獄な日々を綴りましょうともさ。
一言でいうならばしんどかったに尽きますが、一生でこんなに睡眠を削って 1つのことに賭けたことがあっただろうかてなスケジュールの中、ちょっと寝ては 会社で仕事をし(もちろんイベントの仕事に決まっているのだが)、 その合間に絶対忘れるこのイベント期間の状況を書き綴っていたのだった。
イベントが始まると(始まっても仕事は一切なくなることがなかったが!) 途端に書けなくなった。
読んでもらえば分かるがイベント開始までに一度燃え尽きてしまったのが そもそもの原因に違いないが、今となってはなぜイベント開始とともに ペンを置いたのかその理由は定かではない。
3週間という(短かったが)世間的に見て長いイベントの間じゅうの レポートもなく、どうつなげるか数秒迷ったのだが迷うくらいなら いっちゃえと(おい、それボクのバイク道と同じではないのか!?) いうことで以下どうぞ。
きっと長いので甘いもんでも食いながら のんびり辿ってくださいな。
あ、トップがまだLomoHeadsSIteJackProject仕様になってますが 特にあなたが気にする必要はなにもなく、めんどくさいので ボクの着の身着のままにさせといてください。
風があっちへ吹くころには変わっていることでしょう。

- SurugadaiHotelProject Beta -

2000/10/6(金)
会社終わって駆けつける。
今回初日だ。
まだネガが集まってきている段階で、それぞれのネガの本数を数え、IDを振って管理する作業を行う。
今日は顔見せ程度といったところか。
2000/10/7(土)
寝不足ながら12:00からの学校へ向かい、その後お茶の水へ。
着くやいなや3階へ行けと指示される。
3階のその部屋は人がいっぱいだ。
入ると
「とりあえずズボン脱いで」
と言われるが、考える暇もなく ベルトを外し、ジーンズをおろす。
まったく理解できないまま、そこに寝てとか言われる。
そうか、これがBedRoomProjectというやつか。
やっとわかってきた。
しかしギャラリーが多い(笑)
こんなにギャラリーがいるのに普通に寝ては興ざめだなどと よけいなことを考え、無造作に靴下を脱いで投げたり、靴のまま 入ったり、ベッドから落ちてみたりしてみるものの、 「きたな〜い」とか連呼され、不本意きわまりない(笑)
その後もいろんな人の撮影に皆が助監督となり、指示出しまくり。
女の子同士ってのがなかなかよかった。
後で実際に投影する状態で試写会を軽くやったのだが、これが なかなかいい。
※予断だがBedRoomProjectをちゃんと見たのは個人的にこの試写の数人分のみ(涙)

そして本格的にWall制作も始まっている。
今日の時点で、LomoInternationalSocietyのLomOlympics Tokyo Finals がこのホテルプロジェクトではやならないことが判明。
本部ウィーンのLomoInternationalSociety、LomoEmbassyJapan、 そして我らTokyoLomoHeads(LomoEmbassyTokyo)の3つには いろんな問題があったのだが、ここには一切書かないでおこう。
とにかく各国で勝ち抜いてきた外国人が集結して(ということは結構 多くの外国人が来るだろうと思われていた)というイベントでは なくなったわけだ。
ま、これは仕方ないというかうちらではどうしようも ないことだから。
1FにはソーテックのPCがずらりと並び、まるでダイハード2の テロリストの拠点となった教会みたいな感じだ。
やってることも合法テロみたいなもんだけど(笑)

証明写真を2枚撮る。
前のガラスにひっついて撮ったら暗くて わけがわからなくなった。
ま、よしとしよう。

2000/10/8(日)
朝11:30よりスタジオで新曲をちょっと練習。
12:00からにしたかったんだが、運動会があるとかで個人経営の スタジオほのぼのしてんな。
5分後だったので速攻家を出る。
その後お茶の水へ。

今回Wallにあんまり絡んでないっつーか人数いすぎてもどうしよう もないので適当に仕事したり、だべったりとそれぞれでイベントを 楽しむ(いいのか!?笑)
夜、メシから帰ってくるとミカちゃんが泣いていた。
その後、関係のない話から大森さんの爆弾発言をきかされた。

今回のイベントがロモの最後のイベントになるよ

「TokyoLomoHeads IIIというイベントをやることもない、これが最後」

変わらず手を動かしているもの、じっと話に耳を傾けているもの、 そこにいる誰もがまったく予期していなかった(であろう)突然のことに 信じたくないというのは明らかな気がした。
これがロモの最後のイベントなのかと思うとどうしようもない 無力感に襲われた。
もちろんめいっぱいの寂しさが登り詰めた。
つーかみんなあんまり表に出さないので分からないがボクはめっちゃ動じていた。
でもよくよく考えると予期せぬ深いショックってああいう静かな反応しかもたらさないのかもしれないな。
こういうユーザーを巻き込んでのイベント(金儲けが目的でないってことと 大森さんの果てしなき野望、貪欲なバカっぷり、彼やミカちゃんの人柄あって みんながこうして付いてきたただの1カメラにとどまらないムーブメントとしての) は、他のロモ関連会社がそれをやろうとしてもまずできるわけがない。
ただのちょっとモンドでおしゃれさんなイベントがこじんまりと行われるに 過ぎないのだ。
ボクらはそれを望んでいるわけではないわけで。
彼らは「変える」ことには興味がないのだ。
所詮イベントはPRの一環に過ぎなくて、 最終的には利益を得ることが大前提にある。
ロモで食ってくからにはビジネスとしてはそれは当たり前の手段ではあるが、 ボクらからするとそれに巻き込まれることは避けたいわけだ。
金も出ないのに週末全部イベント準備に突っ込むこの感覚、 世界やこれまで自身が持っていた価値観までをも変えるエネルギー
それがこんな東のどでかい国で作られたちっぽけなカメラ1つで 達成できる力を持っているのに。
ただのおしゃれさんの道具に成り下がるなんて。
と思うとホント悲しくなる。
※余談だが大森さん的に「これがロモの最後のイベント」といえば手伝ってくれる人(参加してくれる人)は増えるだろうけどそういうのはイヤなんだ、ということでこの事実はかなり後まで伏せられることとなる。
さらに夕飯のジョナサンで大森さんと話し合い、アレの方も年内で終わることに決めた。


この後、Web担当(www.lomoheads.com)ということになる。
数人のチームで、英語バージョンも作るのだ。
すごい雨の中、家へ向かう。
家へ帰っても作業があるのでどこまでが今日なのだろうか。
(ってすでにみんな24時間体制みたいなもんだからアレだけどさ)

証明写真を2枚撮る。わりと普通に。
2000/10/9(月)
ずぶぬれでさみい。
風呂入って、作業を始める。
午前1時すぎからサイトの構成、outline、各コンテンツをまとめる。
午前6時完了。みんなにメールを投げ、ちょっとだけ寝る。
昼前よりトップページのラフを作成する。
午後4時ごろ完了。
お茶の水へ向かう。

1FのPCがほとんどない!
どうも各階に移動しているようだ。
まだネットワークもきてないし、結構そういう意味では不便。
Web班の打ち合わせをする。
ボク以外の2人はほぼ現役のWebデザイナーなのでかなり頼れる 連中だ。彼女らのアイディアでラフもよりいいものになった。
で、次の日曜までにトップと各フロアのトップを公開しようと 固く誓うのであった。
問題はどこで作業するか。
会社早くあがって家でやるのが効率的には一番なのだが、イベントに 参加してる感はまったくないわけで、こいつは寂しい。
5Fで作業していた大森さんも1日程度で1Fに引っ越しして、 みんなと同じ場所で働きだしたのも寂しかったからだそうだし(笑)
Winはインターフェース的にも大して変わりないはずなのに 使い勝手が慣れないせいか非常に悪く、使えない。
と思ったら事務所から夜Mac他いろんな機材をとりにいくって ことでこれでホテルで作業できることになった。めでたし。
Wallの貼り作業で5Fにあがるも貼ったやつの整理とかいろいろで 貼らずに去る。
ホント今回Wallに絡んでないなーとは思うが、違うところで 細々やっているのでよしとしよう。
2000/10/10(火)
6時すぎ会社速攻上がってホテルへ。
Webのトップページを作らないと、他のページ制作を待っているWeb班が動けないのでMacをセッティング(2F)はじめようとするも、必要な部材がなく、自分のプロバイダのサーバーに置いてあるものを取ってきたいのだが、ネットがつながってるマシンが5Fだとか1Fだとか、パスワード不明だとか上ったり降りたり大変。
そうこうするうちにWeb班の部屋は別に1部屋あてがわれるという新事実をきかされ、Macを移動(ゆーすけくんサンキュー)。
取りかかるも終わらず(午前1時)
その間、ナビゲーションのホテルの画像をippeyくんが作ってくれて、サオリちゃんが fireworksでああでもないこうでもないと実演。
家へ帰り、トップページのHTMLタグ作業。
午前4時前終了。
3時間半程寝ます(涙)
2000/10/11(水)
眠いな、相変わらず。
10時会社着。
大森さんから「あのケーキの写真を"最後の"チケットに使いたい。プリントある?」 とメールが来ていた。
そっかあのケーキが最後のチケットか。
うれしいんだかなんだか微妙な気持だ。

夜。
Webのテンプレートとなる部分が完成。会社で適当に目盗んでせこせこアニメーションGIFを作った賜物だ。
サオリちゃんがナビゲーションの画像をああだこうだやっている。横からさらにああだこうだボクがいうので仕事でWebなサオリちゃんちょっと切れぎみ(オレには分かる)。
ま、大変だけど楽しくおもろいもんを出したいなぁ。
家へ帰ってその(どの?)ケーキの写真をスキャン。360dpiででかめの画像なので、 圧縮して10MBもあった。
FTPでサーバーにあげるのに30分かかった。
ミカちゃん宛てにメールして寝る。
2:30くらい。
2000/10/12(木)
関係ないが弟のバースデー。
トップのテンプレート(日本語版/英語版)作成完了。
イントラのサーバーへあげる。
問題なし。
※後にMac/IE4.5でのみ致命的な欠陥があることが判明するも修正したのはだいぶ後の話。

一平くんに各フロアトップページに使うホテルの横からの断面図を作ってもらう。
助かるなぁ。で、サオリちゃんが来てfireworksでがんばっている。
午前1時30ごろ帰る。

経堂で事故る。
ハザードだして止まってたタクシー。
後続に2〜3台のタクシー。
止まっているタクシーの目の前で工事。
右車線に駐車バン1台。
迷ったあげく左からすり抜けを敢行。
危険なので超低速だったが、 運悪くちょうど客を降ろすために開けたドアと出会う。
ガードレールに倒される。
左の指がバイクとガードレールに挟まれなにやら痛い。
痛いというか動かないのでよくわからない。
「折れてますか?」とかきかれるが、骨折った経験がないのでなんともいえない。
なんともいえないながら病院いく、いかないの選択を迫られ、行くを選択。
目の前に交番があるので1人行く。
いろいろあったがどうも落ち度は完全にタクシー側のようだ。
弱者(車に対するバイク、バイクに対する自転車等)は結構保護されるみたい。
オレに落ち度がなかったわけじゃないしね。
ただただ眠いし、早く帰りたいのに面倒なことになったなーとずっと考えていた。
現場検証チームが4人でやってきて、計ったり、いろいろする。
救急車で病院へ。目を盗んでロモで救急車内を激写する。
レントゲン異常なし。
一応シップで包帯くんではある。
つーかすでに何十分も経過して、指は結構動くようになってたんだが...。
その後、梅ヶ丘の北沢署へ。
事情聴取。
バイク、ハンドルかなり曲がってる。
かなり危ないよこれ。
まっすぐ進むのにややテクが必要(笑)
あ、そうだ。車体証だっけ。
持ってなくてやばいと思ったが見逃してくれた。
次の日気づいたんだが、自賠責も7月で切れていた。
速攻1年更新した。
今日の帰りにその交番へ車体証見せにいかなくてはならないのだ。

寝たのは4:30。
2000/10/13(金)
起床8:30
タクシー会社からTEL。
9:30に病院で待ち合わせ。
同僚からお見舞いメールが。
事故ったのが、13日の金曜日、丑三つ時、満月というステキな巡り合わせなこと を指摘される。
実はもう1つ心当たりがあるのだが、ここでは割愛。
Webあんまりはかどらないなぁ。環境のせいだ。
孤独な作業っちゅーか、なんちゅーかね。
ペンキ塗りてぇ。
2000/10/14(土)
久々に8時間寝た。
すこぶる快調。
やる気も万全。
ミカちゃんからTEL。
集大成的なWallを作るらしい。
※余談だが結局作らなかったと思う(笑)
去年のラフォーレ以降のネガしか持ってってなかったので、それ以前のも 持ってきてと。
選んでる暇ないのでありったけ持ってくことにした。
去年のチケットに使ったバイクのネガやっぱりねーや。
しゃーない。
各フロアのイベントは確定してないが(影も形もないものもいくつかあったり) それじゃWebが進まないのでホテルの断面図をもとに大森さんをけしかけ、 無理矢理イベントのフロアを決定させる。
ま、変更になってもいいようにWebに「予告なく変更する場合があります」って よくあるテキストを置くつもりなのでいいのだ。
東京デザイナー学院の生徒やらいろいろヘルプに来て、ペンキ塗りが楽しそうだ。
早くWeb終わらして塗りてぇ。
そういや4Fはエレベータで上がるなとお達しが あったが、大森さんが1人白のペンキでエレベータ塗ってたわ。
赤や青、黒、白。ホテルがClockworkのようになってくー。たのしー。
そうそういつの間にやらエレベータ内にブラックライトが導入されてて ポスターまで貼られててすごいいい感じ。
ライト1つでこんなに雰囲気変わるんだな。
Webもまだまだだけど、すげえ面白いものになりそうだし、 とにもかくにもあと1週間。来週の今日はオープニングだな。
今日聞かされたが11/21はオープニングパーティらしい。
お金とるかとらないかで大森さんとミカちゃんがやりあってた(笑)
で、とらないみたいだ。
でも去年は前日にwallの貼り込みを一気に徹夜でやって間に合わせたんで、 大丈夫か?と思いきや意外に楽勝なのかも。
つーか個人的にはスライドの準備もしてないしちっとも大丈夫じゃないのだが。
10secondsmovieも撮ってくれ言われるし。撮りたいのはやまやまなんだけど...。
イベントポスターができた模様。キャッチコピーは

来ないやつは死ね!

おいおい。大丈夫か!?(笑)
2000/10/15(日)
Web。
ペンキ塗り部隊楽しそう。ホント塗りたい。
でもWebなのだな。
夜、wall制作の1F(たぶんSlideShowやるところ)で複数の携帯カメラ(?)をつけて モニタに出していた。
ボタン1つでカメラが切り替わってテレビ局みたいだ。
これを四分割して出したりするそうだ。
でもどこにどう使うのかしらん(笑)
※後にDoubleRoomProjectやOneNightProject、SecurityRoomProjectで威力を発揮することになる。
2000/10/16(月)
寝ても覚めてもWebチーム。
素晴らしいコンテンツになるのは最初から分かってたが(笑)、 こんなにも大変だということを改めて再確認(何で今よーーとか言われる) 力技でガンガン作成。
Infoのすべてと4Fの9割がた、5F、B1F(辿りつけるか!?)を作成。
午前4時30分ホテルを出る。
7時半に起きて会社か。
厳しいっす。
2時間寝るつもりが起きたら10時半。
やべーー。
5分で家を出る。
2000/10/17(火)
午後8時ホテル着。
息つく暇なくいつもの222号室へ。
今日明日で終わらせたいな。
1Fフロントを複数人がはけで黒のペンキで塗っていた。
おうおう、だんだんらしくなってくるわけな。
天井にもWallいつの間にか貼ってるし、カフェ(Lounge LomoHeads)にもWallが貼られだしている。
大森さんは携帯カメラを「やっぱりベルトの位置だな」とかなんとかいって モニタを真剣&ふまじめに見ている。
盗撮か?いや、WebBroadCastに使うやつだろうか。まだ謎。
2Fフロアではヤヒーが壁にWall打ち付けてた。
「今日は男子は力仕事だけです。3階、4階に来てください」
とある。おお。
で、WebWeb。
4Fの全部と2Fの全部、5F、gameofhotel、Info完成する。
あと1Fと3F(こっちが多くてやばい)とdiaryのたんぼくんによる日付のカスタマイズ。と英語翻訳。
その前に大森さんのテキストチェック。
オレが適当に書いた暫定テキスト満載だしね。

眠いよ。
午前5時ホテルを出る。
1Fほとんど人がいなかった。
ソファでミカちゃんやたんぼくんが寝てた。
3時間寝て会社へ。死ぬ。
今朝気づいたんだけど昨日ガチンコ録画するの忘れた。ショック。
録画してもいつ見れるかまったく見当つかないんだけどさ。
2000/10/18(水)
覚えてないな。
とにかくWeb公開に向け猛ダッシュ。
朝の7時くらいまで作業をした。
9時から会社。
つらい。
つらいので休もう。
帰って風呂入って会社にメールしてお休みなさい。

午後4時ごろ起床。
6時間たっぷり寝た(たっぷりなのか!?)
スライドで使う写真を選んだり、ここぞとばかり洗濯したりする。
2000/10/19(木)
と書いたところで上のは今日の話だった。
もうよくわからないのである。
同じWeb班のサオリちゃんは一生の中で最も睡眠時間のなかった1週間と評した。
この日の朝、ボクも平均睡眠3〜4時間を1週間続け、徹夜明けのためバイクに 乗りながらちょくちょく寝てしまった。
ま、0コンマ何秒の世界なんだろうけどさ。
何度中央分離帯に激突すると思ったことか。
眠いが途中で止めてどこかで 休むってことがあまりに朝なので無理っぽいし、かなり危機感を感じながら 家路に着いたのだ。
で、会社での今日のボクの立場は体調不良でお休み、お大事にね、ということにした。
いろいろやって夜ホテルへ。
今日こそWeb公開だ。

といってもキッチリあげるまではスムーズにいかないもので、紆余曲折。
フロントのペンキも塗ったし、Wall貼りではなく剥がし(おいおい)を手伝う。
ずっと籠もってやってたからな、楽しいというかうれしいというか。
2日続けて牛丼だ。
なんとかWeb公開にこぎつけ帰る。
午前3時ごろか?
家に帰ってLomo-MLにアナウンス。
友達からいくつかリンク切れだのなんだの 言われ、家から作業。

6時までかかってしまった。
2000/10/20(金)
2時間寝て出社。
会社でも結局いくつかのFIXをするはめに。
もう仕事も集中できない。
眠いしね。
午後7時半ころホテルへ向かう。
もう今日しかないんだな。大丈夫だろうか。

いよいよ前日。
Web班はwww.lomoheads.com公開で一度気持ちが終わってしまってる 部分もあってかなり厳しい状態。
精も根も尽き果てた感じ。
なにをしたかよく覚えていないが、途中カフェで30分くらい寝た記憶があり、 その後3時か4時あたりにComputerRoomで各イベントの説明テキストを 書いていたあたりで横のベッドに寝てしまったらしい。
というか寝たことも覚えてなければ一緒にいたサオリちゃんが3時間後くらいに 起こしに来てくれて起こされたことさえ覚えていない。
寝たのも起きたのも覚えていないので自分の中では「寝た」って認識が ないわけだ。
そりゃそーだ。
朝になって
「なんでミーティングとかやんねーのかなー」
とずっと思ってたら その寝ている間にやってたらしい。
2000/10/21(土)
オープン間際はプリンタの争奪戦になった。
チケットが初日(今日)の夕方出来上がるってことなんで(フライヤーも) 急遽チケットを作ったり、各部屋に「○○Room」って一言さえなければ 説明もないのでそれを出力しなきゃいけなかったり。
各フロアで流す音楽を編集してCDに焼いていてマシンが埋まってたり、 どれもこれものプライオリティが高くこの決着はなかなか付かなかった。

<オープン>

土曜とはいえそんな早い時間からお客さんが続々現れるわけでもなく、 ぽつりぽつり。
しかしどう考えてもまだβだと思うので今楽しみに 来てくれた人に申し訳ない気持ちもあったりする。
この状態でも十分楽しめるがまだまだ中途半端なところがいっぱいだからだ。
3週間あるからちょうど半分過ぎたくらい以降がいいんじゃないかなと なんとなく思う。
でもIDRoomProjectに参加すれば(証明写真を撮ってチケットに貼る) イベント期間中何度でも再入場できるので是非何度も来て欲しいところだ。
午後になって寝た人、家に一旦帰る人がでてきてオレも3時間くらいは 寝たいなと思ったんだが、やはり制作物作らなきゃいけなくて 結局寝れなかった。

7時からオープニングパーティ。
大森さんVJ、藤本と斉藤くんのDJ スライド(バーニングマン)とビデオ。
ビデオは特にイベントのメイキング風景がよかった。
キリン提供の一番絞り。何日ぶりのアルコールだろう。
ココでもずっとデスクワークだったのでアルコールは口にして いなかったのだ。
カステラ(井村屋提供)など。
二次会へ進むも限界がきた。
ま、風邪も引いてるようだし、寝不足で疲れがってのも あるんだけど実はそれだけの理由じゃなかったりする。
とにかくあんなに腹減ってたのにまったく食欲がなくなってしまった。
1人先に帰る。

家に着いたまでは覚えているが、風呂にはいったのか(頭が爆発してるので 髪洗って乾かさずに寝た模様だが)いつどうやって寝たのか、まったく記憶に なく起きてかなりびっくりした。
飲んでないのに記憶がなくなるってすごいななんか。
起床午後12時ちょいすぎ。
2000/10/22(日)





ここでこのレポートは終わっていた。
これは自分の立場からのみ書いているので不十分な点ひとしきりであるが、それはボクが単に神様で明確な理由なわけでどうかご了承願いたい。
なので当然ココまで読んで不明な点があったことでしょう。
というか自分で読み返してもちょっと恥ずかしい記述もあるのだが、 書き直したらウソっぽくてヤなのでほぼ当時の精神状態のまま加筆修正なく掲載しました。
かくも日記とはそこはかとなく恥ずかしいものである。
このあと機会があればイベント自体のレポートもしたいと思うのです(つーか昨日107枚スキャンしたやんけー)。
「それ」と「これ」がヘタなパズルのように奇跡的に微妙に組み合わさったとき、 あなたはこのイベントを見なかったことを絶対的に絶望的に後悔することとなるのです。
というのはちょっとおどしてみただけです。参ったか。
来れなかった人はもしかしたら感動するかもしれないし、 おおかたにおいて「ふーん」とか「へぇ」とか思うであろう。
どんな結果だったとしてもネットビジネス風にまわりに吹聴するがよい。
だってBye Bye TokyoLomoHeads なんだから。
そしてともにイベントに参加した仲間はただ文章が長いとだけ言い放つだろう(笑)
思うつぼだ。
泣きなさい笑いなさい

リアルをちょうだいよ。